コロンビア・ピクチャーズ・エンタテインメント(英語表記)Columbia Pictures Entertainment, Inc.

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 の解説

コロンビア・ピクチャーズ・エンタテインメント
Columbia Pictures Entertainment, Inc.

アメリカ合衆国の大手映画会社。1920年,ハリーコーン,兄のジャック,ジョー・ブラントの 3人が,短編や低予算の西部劇・コメディを制作する C.B.C.セールス・フィルムコーポレーションを設立。1924年コロンビア・ピクチャーズに社名変更。ハリーは 1932年から 1958年に没するまで社長を務め,ハリウッドの他の大手スタジオと肩を並べる会社にした。1920年代後半,コメディ映画の監督にフランク・キャプラを起用し転機を迎えた。1934年にキャプラの監督作品『或る夜の出来事』It Happened One Nightが大あたりし,アカデミー賞作品賞を受賞。キャプラが監督した他のコメディ作品には,『スミス都へ行く』Mr. Smith Goes to Washington(1939)などがある。1939年にキャプラがコロンビアを去ると,監督陣は人使いが荒く横暴なコーンのもとで働くのを嫌い,同社は活気を失った。だが 1950年代には,エリア・カザン,フレッド・ジンネマン,デビッド・リーンなどの独立系プロデューサー・監督の力を借り,往年威光を取り戻した。その成果として,『オール・ザ・キングスメン』All the King's Men(1949),『地上より永遠に』From Here to Eternity(1953),『波止場』On the Waterfront(1954),『戦場にかける橋』The Bridge on the River Kwai(1957),『アラビアロレンス』Lawrence of Arabia(1962),『未知との遭遇』Close Encounters of the Third Kind(1977),『ガンジー』Gandhi(1982),『ラストエンペラー』The Last Emperor(1987)などの作品が撮影された。『イージー・ライダー』Easy Rider(1969)など若者向けの良質な作品にも出資した。1982年,コカ・コーラが買収。同年,新たな映画スタジオ,トライスター・ピクチャーズの設立を支援。1987年にトライスターはコロンビアと合併し,コロンビア・ピクチャーズ・エンタテインメントと改称した。1989年ソニーに買収された。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

今日のキーワード

青天の霹靂

《陸游「九月四日鶏未鳴起作」から。晴れ渡った空に突然起こる雷の意》急に起きる変動・大事件。また、突然うけた衝撃。[補説]「晴天の霹靂」と書くのは誤り。[類語]突発的・発作的・反射的・突然・ひょっこり・...

青天の霹靂の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android