コレラ一揆(読み)これらいっき

世界大百科事典(旧版)内のコレラ一揆の言及

【コレラ】より

…77年,79年,82年,86年,90年,91年,95年と絶えず大流行をくりかえし,明治44年間のコレラの総死者数は37万余,日清・日露の大戦の死者数をはるかに上回った。これに対し,明治政府は警察行政的に対処し,民衆の反感を買い,各地で〈コレラ一揆〉と呼ばれる騒擾事件が起こり,やがて条約改正による海港検疫権の確立とともに大流行は終息していった。〈コレラは衛生の母〉といわれるが,日本でもコレラは衛生行政の原点となった。…

※「コレラ一揆」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」