コメディア・デラルテ(読み)こめでぃあでらるて(英語表記)commedia dell'arte

日本大百科全書(ニッポニカ) 「コメディア・デラルテ」の意味・わかりやすい解説

コメディア・デラルテ
こめでぃあでらるて
commedia dell'arte

イタリアで16世紀から17世紀にかけて栄え、ヨーロッパ諸国に影響を与えた演劇。「即興」演技と仮面の使用を特徴とする。

[溝口廸夫]

語義と起源

コメディア・デラルテのアルテとは、中世語法で同じ技術・技芸をもつ者の集団のことで、当時の貴族や文人の素人(しろうと)劇団と対比して、芸を職業とする集団によって演じられる喜劇をさした。

 その前身は中世以来の大道芸を伝承する吟遊詩人道化師、軽業(かるわざ)師たちで、街頭や広場で見せ物を演じていたが、同時に宮廷や貴族の素人芝居にも道化役として参加し、1545年結成のパドバのザーネ一座のように、しだいに職業としての劇団を形成するようになっていった。これより少し以前、ルツァンテRuzzante(本名アンジェロ・ベオルコAngelo Beolco、1502―42)は、パドバ方言で農民ルツァンテを主人公とするいくつかの戯曲を書き、自ら演じて有名になったが、これはコメディア・デラルテに大きな影響を及ぼした。

[溝口廸夫]

演技と舞台

彼ら芸人(後の俳優)は教会の破門宣告に脅かされるような存在であり、字の読めない者も多かった。したがって完備した台本はなく、カノバッチョcanovaccio(麻布)に記したセナリオscenarioとよばれる筋書きをもとに即興で演じ、これらの筋書きはローマ喜劇や当時の伝説などから自在に借用した。ただしこの場合の「即興」とは、上演ごとに場当たりに演ずるものではない。一座は多くの場合一族で結成され、俳優たちは親子伝来の練達した技芸をもち、各自が修辞十八番集とでもよぶべき台詞(せりふ)集を暗記しており、座長を中心にみごとなアンサンブルで上演した。しかし決定的な台本を用いなかったから、上演ごとに観客の反応や状況をみながら台詞を変え、演技した。楽器やアクロバットにも優れ、ラッツィlazziという幕間(まくあい)狂言的な道化芝居を演じるとともに、各地の民衆的なエスプリを巧みに取り入れて観客の共感を得た。

 内容は、庶民の日常生活に題材をとり、健康でたくましい現世享楽への欲望、頑迷な老人や傲慢(ごうまん)な学者への嘲笑(ちょうしょう)、主人を相手に立ち回る召使いの狡猾(こうかつ)さ、両親の功利的な結婚目的の裏をかいて愛を貫き結婚する恋人同士、大ぼら吹きの軍人の手柄話の嘘(うそ)を暴く農民たち、などである。

[溝口廸夫]

登場人物と仮面

即興とともにコメディア・デラルテのもう一つの特徴は、典型化された登場人物とそれを明確にする仮面(マスケラ)mascheraの着用である。古今の喜劇の登場人物を最大公約化しながら、時代の実際の風俗にあわせて生まれたこれらの人物と仮面は、観客の共感を得てしだいに社会条件のシンボルを形象し、発展していった。それらは以下のパターンに分類される。

(1)召使い、またはザンニZanni ベルガモ生まれで、粗野でずる賢い。彼を原型として多くの召使いや道化の類型に分かれる。大きく分けて、狡猾で策謀に富み事件を巻き起こすトルッファルディーノTruffaldinoおよびブリゲッラBrighellaの系統と、愚かで殴られ役のアルレッキーノArlecchino(以上ベルガモ生まれ)と大食漢でなまけ者のペテン師プルチネッラPulcinella(ナポリ生まれ)の二つがある。アルレッキーノはフランスでアルルカンHarlequin、イギリスでハーレキンHarlequinとなる。プルチネッラの変形がペドロリーノPedrolinoで、これをもとに後世サーカスやパントマイムに登場するピエロPierrotが生まれる。ブリゲッラは、フランスに渡ったイタリア喜劇団でスカピーノScapinoと名を変えて登場し、モリエールの『スカパンの悪だくみ』で有名になった。

(2)パンタローネPantalone ベネチア生まれ。けちで不平家の商人階級の老人。若者たちの敵対者で好色、つまらぬ色事で恥をかく。のちゴルドーニが善良な性格に書き変える。

(3)ドットーレDottore ボローニャ生まれの学者または医者。学者の場合はドットーレ・バロアルドD. BaloardoまたはグラッツィアーノGraziano、医者の場合はドットーレ・バランゾーネD. Balanzoneとよぶ。前者はボローニャ大学法学部教授のカリカチュアで、法律をはじめ哲学、天文学、文法などを間違いだらけにしゃべりまくる衒学者(げんがくしゃ)。後者は強欲なやぶ医者。病気は治せないが、女の患者に対する好奇心が強い。

(4)カピターノCapitano 出生地は各所にまたがる。空いばりで臆病(おくびょう)な軍人。当時イタリア各地を支配していたスペイン軍人のグロテスクな表現である。変形にナポリ生まれのスカラムッチャScaramuccia(フランスではスカラムーシュScaramouche)があり、名優ティベリオ・フィオリッリによって定型化される。

(5)恋人たち 〈男性〉レリオLelioは名優ジャン・バッティスタ・アンドレイニにより定型化され、リッコボーニに引き継がれる。そのほかオラッツィオOrazio、レアンドロLeandro、オッタビオOttavioなどの二枚目役がある。〈女性〉名女優イザベッラ・アンドレイニが定型化したイザベッラIsabellaをはじめ、フィオレンティーナFiorentina、ベアトリーチェBeatrice、シルビアSilviaなど。通常、有名な俳優の娘や妻が演じた。

(6)娘たち コロンビーナColombina、コラッリーナCorallinaなど。この二者は同一人物であったり別人であったりする。色っぽく、機転がきき、口がうまく、女中役が多い。

 俳優たちは、肉体的にも心理的にも自分にあった仮面を専門とし、特徴ある一定の衣装、身ぶりや口調などを加えて演技を発展させた。そして俳優たちはしばしば演ずる仮面の名でよばれるようになった。

[溝口廸夫]

発展と衰退

コメディア・デラルテは16世紀中期から17世紀にかけて最盛期を迎える。名優も輩出し、また、ジェロージ座、フェデーリ座、ウニティ座などがフランスやイギリスの王室をはじめヨーロッパ各地を巡業し、各国の国民演劇の形成に大きな影響を与えた。しかし、しだいに創始期の活気を失い、反復と支離滅裂、観客にこびた卑俗さに落ち込んでいった。仮面と庶民観客の意識にも乖離(かいり)が生じた。そして、18世紀初頭に現れた中産階級の倫理に受け入れられず、コメディア・デラルテを遺産としながらも新しい市民演劇のリアリズムを目ざしたゴルドーニの演劇改革へと受け継がれていった。

[溝口廸夫]

『フィリップ・ヴァン・チーゲム著、戸口幸策他訳『イタリア演劇史』(白水社・文庫クセジュ)』

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百科事典マイペディア 「コメディア・デラルテ」の意味・わかりやすい解説

コメディア・デラルテ

16世紀から17世紀にかけてイタリアに起こった職業俳優による即興喜劇。古代ローマからの田舎芝居が原形ともいうが,確かではない。筋書だけで曲芸まがいの即興的演技を行うのが特色。アルレッキーノ(召使役の道化),カピターノ(軍人),パンタローネ(老人)など類型化された役柄が固定し,特有の仮面と衣装をつける。近世のヨーロッパ各国の演劇に多大の影響を与え,今日の大衆演芸の源流といわれる。
→関連項目喜劇ゴルドーニシナリオ守銭奴太陽劇団パンタロンパントマイムピエロベッキ

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「コメディア・デラルテ」の意味・わかりやすい解説

コメディア・デラルテ
commedia dell'arte

16世紀イタリアに興った仮面劇。専門の技術 (アルテ) を備えた俳優による喜劇。脚本をもたず,簡単な梗概をもとに即興的に演じられる。歌,踊り,パントマイム,アクロバット,道化的演技,風刺などを織り込み,道化役の下男ザンニ,けちな老商人パンタローネ,えせ学者ドットーレ,ほら吹き軍人カピターノなど,それぞれおきまりの仮面と衣装を着けた類型的人物が活躍。アンジェロ・ベオルコ (芸名ルッツァンテ ) の劇団,フランチェスコ・アンドレイニと妻イザベラの劇団ジェロジなど,多くの劇団が出現し,18世紀中期まで栄えたが,やがてカルロ・ゴルドーニの性格喜劇に席を譲った。しかし 17~18世紀ヨーロッパの喜劇の形成に果たした役割は大きく,モリエール,ウィリアム・シェークスピアらの作品に影響を与えた。

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