コベントリー(英語表記)Coventry

翻訳|Coventry

デジタル大辞泉 「コベントリー」の意味・読み・例文・類語

コベントリー(Coventry)

英国イングランド中部、ウエストミッドランズ州の工業都市中世より織物業で発展。20世紀に自動車航空機工場が集まる軍需産業中心地になったため、第二次大戦中はドイツ軍の激しい空襲を受けた。コベントリー大聖堂は、戦争爪痕つめあと戦後復興シンボルとして知られる。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「コベントリー」の意味・わかりやすい解説

コベントリー
Coventry

イギリス,イングランド中部,ウェスト・ミッドランズ州(旧ウォリックシャー)東部の工業都市。人口33万6452(2001)。シャーバン川の段丘上に位置し,ミッドランド工業地域の核心の一つを形成する。もとは原毛の取引地であったが,13世紀末に毛織物業が成立し,優れた染色技術によってミッドランド地方の織物業の中心として発達した。その後17世紀にはリボン,時計,19世紀後半以降は自転車,自動車,レーヨンと新しい工業が次々に立地した。現在は自動車のほか,航空機,合成繊維,工作機械などの工業が盛んである。町の起源はサクソン時代にさかのぼるが,1043年にベネディクト会修道院が建設されたのち本格的に発展し,12世紀中葉に自治都市となった。市内には囲壁の一部が残り,〈三つの尖塔の都市City of the Three Spires〉とうたわれるように,セント・マイケル大聖堂の後期ゴシックの塔を中心に,ホーリー・トリニティ教会およびクライスト教会の塔がそびえる。そのほかギルド・ホールとしては有数の美しさで知られるセント・メアリーズ・ホール(1342建設)がある。両次世界大戦中は軍需工業の中心地となったため,1940年11月にはドイツ空軍による爆撃で徹底的に破壊された。戦後は都心のショッピング地区を核に復興され,大聖堂も62年に再建された。郊外にウォリック大学がある。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「コベントリー」の意味・わかりやすい解説

コベントリー
Coventry

イギリスイングランド中部,ウェストミッドランズ地域東部の都市。コベントリー地区を構成する。バーミンガムの東約 30kmにあり,エーボン川に近い。1043年にマーシア伯レオフリックとその妻ゴダイバが,ベネディクト会の修道院を創設してから発展した町。ゴダイバが夫に重税を廃止してもらうため,約束に従ってコベントリーの町を裸で馬に乗って走ったという伝説で知られ,市内にその彫像がある。1182年に勅許状を得,中世には羊毛の取り引き,次いで毛織物工業で繁栄,13世紀末にはミッドランド地方の織物工業の中心地となった。17世紀末,布地に代わってリボンの生産が中心となり,それとともに時計製造が盛んになった。19世紀後半,自転車工業の発展により近代工業が始まり,19世紀末からは自動車の製造が始まった。その後レーヨン,電話機などの工業が導入され,今日,自動車,農業機械,工作機械,通信機器などを製造する。第2次世界大戦中,1940年11月と 1941年4月にドイツ軍の爆撃を受け,市の中心部は大破し,聖マイケル大聖堂その他の歴史的建造物も一部を除いて破壊された。その後 1956~62年に大聖堂が再建されたほか,市街の再建,近代化が進められ,多数の公園,広場などが配された近代的工業都市となっている。ウォリック大学(1965),コベントリー大学(1970)がある。面積 97km2。人口 30万4200(2004推計)。

コベントリー
Coventry, Francis

[生]?
[没]1759頃
イギリスの文学者。愛玩犬の生涯に託した風刺小説『小ポンペイ一代記』 History of Pompey the Little (1751) の作者。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「コベントリー」の意味・わかりやすい解説

コベントリー
こべんとりー
Coventry

イギリス、イングランド中部、ウェスト・ミッドランズ大都市県にある都市。人口30万0844(2001)。バーミンガムの東南東約30キロメートルに位置する工業都市で、とくに自動車工業が名高い。ほかに、航空機、機械工具、合成繊維、電気器具などが生産される。町の起源は、1043年にベネディクト派修道院が建てられたときにさかのぼり、以来、商業、手工業の中心地として発展。中世には優れた繊維染色技術を生かして大いに栄え、イングランドの四大地方都市の一つに数えられた。しかしピューリタン革命後、主産業となった絹織物業と時計工業は、19世紀に入ってフランスとスイスの製品に圧倒され、アメリカ大陸へ移住する市民が多数出た。この流れを変え、ふたたび繁栄への扉を開いたのが、1896年の自動車工場開設である。しかし自動車工業など輸送機械工業の集積は、第二次世界大戦中ドイツ軍の空襲を招き、市の中心部は壊滅した。戦後復興した新市街は、周辺に駐車場を配置し、中心部への車の乗り入れを大幅に制限した新しい都市づくりで知られる。

[久保田武]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

百科事典マイペディア 「コベントリー」の意味・わかりやすい解説

コベントリー

英国,イングランド中部,バーミンガムの東南東約30kmの重工業都市。第2次大戦中の空襲で壊滅したが,復興し,自動車,航空機,エンジン,電子工業などが行われる。また空襲で破壊された14世紀の大聖堂も1962年再建された。ウォリック大学(1965年)がある。30万3000人(2001)。

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

世界大百科事典(旧版)内のコベントリーの言及

【イングランド】より

…また南ヨークシャーのシェフィールドには伝統ある鉄鋼業が立地している。かつて黒郷(ブラック・カントリー)と呼ばれたバーミンガム周辺のミッドランド工業地域は,鉄鋼業が縮小し,代わって自動車などの機械工業がコベントリーなどで発展している。最後にロンドン工業地域も消費財生産に特色を有していたが,テムズ河口への自動車工業の進出,ニュータウンへの軽工業の分散などの変化が顕著となっている。…

※「コベントリー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android