コニカミノルタホールディングス(株)(読み)こにかみのるたほーるでぃんぐす

日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

コニカミノルタホールディングス(株)
こにかみのるたほーるでぃんぐす

写真総合メーカーであるコニカグループとミノルタ経営統合し、2003年(平成15)8月5日に発足した持株会社

 コニカとミノルタは2000年4月、情報機器事業分野で事業提携をすることとし、同年12月、合弁会社(コニカミノルタサプライズ)を設立した。その後2003年1月に両社経営統合に合意、同年4月、コニカは全事業を6子会社(コニカビジネステクノロジーズ、コニカオプト、コニカフォトイメージング、コニカメディカルアンドグラフィック、コニカビジネスエキスパート、コニカテクノロジーセンター)に分割し、8月、持株会社コニカミノルタホールディングス設立にあたり、ミノルタとともにコニカミノルタグループとしてその傘下に入った。同年10月、コニカミノルタホールディングスは子会社の事業統合、再編を行い、グループ会社はコニカミノルタビジネステクノロジーズ、コニカミノルタオプト、コニカミノルタフォトイメージング、コニカミノルタカメラ、コニカミノルタエムジー、コニカミノルタセンシング、コニカミノルタテクノロジーセンター、コニカミノルタビジネスエキスパートの8社となった(コニカミノルタカメラとコニカミノルタフォトイメージングは2004年事業統合)。2006年3月にカメラ事業を終了、カラーフィルム等のフォト事業も翌07年に終了した。資本金375億円(2008)、売上高1兆0716億円(2008。連結ベース)、従業員数3万1800(2008)。

 ミノルタは、1928年(昭和3)田嶋一雄(1899―1985)が日独写真機商店として創業。翌1929年にカメラ1号機「ニフカレッテ」を発売。1931年モルタ合資会社、1937年千代田光学精工に改組改称。1937年国産初の二眼レフカメラ「ミノルタフレックス」を発売。1958年プラネタリウム1号機、60年複写機1号機を完成。1962年社名をミノルタカメラとした。1994年ミノルタへ社名変更。2003年8月5日時点で、資本金約258億円、従業員数3424。「ミノルタ」は、Machinery and Instruments Optical by Tashimaという英語文字をとったもので、「稔る田」の意味も含んでいた。

[編集部]

『小西六写真工業株式会社社史編纂室編『写真とともに百年』(1973・小西六写真工業)』『ミノルタカメラ株式会社社史編集委員会編『Minolta50年のあゆみ』(1978・ミノルタカメラ)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android