ケント(イギリス)(読み)けんと(英語表記)Kent

翻訳|Kent

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ケント(イギリス)」の意味・わかりやすい解説

ケント(イギリス)
けんと
Kent

イギリス、イングランド南東部のカウンティ(県)。県都メードストン。面積3543平方キロメートル、人口132万9653(2001)。1998年メドウェイ・タウンズ地区がユニタリー・オーソリティー(一層制地方自治体)として分離した。ヨーロッパ大陸に近く、先史時代やローマ時代の居住の名残(なごり)が数多くみられるグレート・ブリテン島の先進地域で、七王国の時代には現在の区域とほぼ同じ所にケント王国があった。その首都カンタベリーは、6世紀の王がカトリック教を導入したことからキリスト教の中心地となっている。ノースダウンズとよばれる白亜紀丘陵が東西に走り、東端に白い海食崖(がい)が形成されているが、大部分平地で、古くから農業が卓越し、15世紀ごろにはフランドル人が羊毛工業を移入、現在も牧羊・牧牛が盛んである。1960年代初めには全土の約半分が耕地で、ロンドンに近いため近郊農業、酪農、ホップ栽培などが行われ、果樹園も多い。美しい自然景観に恵まれ、「イギリスの庭園」ともよばれ、観光地としても知られる。北部テムズ川沿いには、製紙、化学、造船などの工業もある。

井内 昇]

歴史

ローマの占領時代にこの地には居留地が設けられ、カンタベリーを中心とする道路もつくられた。5世紀にゲルマンの民族移動が始まると、ヘンギストとホルサに率いられたジュート人の一団が渡来して初めてこの地に定着し、6世紀末にはアングロ・サクソン七王国(ヘプターキー)の一つケントの王エセルバートEthelbert(Aethelberht)王(552?―616、在位560~616)がほぼ現在のカウンティに一致する範囲に勢力を張り、アウグスティヌス(カンタベリーの)によるローマ・カトリック教会の布教を歓迎してキリスト教に改宗し、カンタベリーに最初の教会堂を建てた。しかしその後ケント王国は振るわず、8世紀中葉にはマーシア王国に包含され、825年にはウェセックス王エグベルトの王国に編入された。11世紀のノルマン人の征服以後、ケントはカンタベリーへの巡礼と大陸との交通路としてにぎわいをみせ、海岸線には防衛施設もつくられた。なおケントは、歴史的にみて他のカウンティとは違った社会構造をもち、比較的富裕な中小の土地所有者が多く、1381年のワット・タイラーの乱の舞台となり、エリザベス朝から17世紀にかけて多くの大邸宅が建造された。

[今井 宏]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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