ケルナー(英語表記)Körner, Theodor

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ケルナー」の意味・わかりやすい解説

ケルナー
Körner, Theodor

[生]1873.4.24. ハンガリーコマールノ
[没]1957.1.4. オーストリア,ウィーン
オーストリア陸軍将校,政治家。オーストリア第二共和国大統領(在任 1951~57)。オーストリア=ハンガリー帝国の軍大佐として第1次世界大戦に参戦。1915年参謀長となり,イタリア軍の攻撃を防いだ。1918年11月のオーストリア=ハンガリー帝国崩壊後は新生オーストリア第一共和国の陸軍監察長官に任命されたが,2年後に引退。オーストリア社会民主党に加わり,1925~34年ウィーン代表としてオーストリア連邦議会(上院)議員を務めた。1930年代初期,オーストリア政局が右傾化を強めるなか,ケルナーは社会民主党の武装自衛組織,共和国防衛同盟(シュッツブント)の軍事顧問として一貫して暴力的行為に異を唱え続けた。しかし 1934年2月にキリスト教社会党が権力を握ると,それらの活動を理由に投獄された。1938年3月のナチス・ドイツによるオーストリア併合(→アンシュルス)後はナチス政権へのかかわりを拒否。第2次世界大戦終結後,ソビエト連邦の占領軍当局によってウィーン市長に任命された。1951年5月オーストリア第二共和国の大統領に選出され,在任中に死亡した。

ケルナー
Körner, Wilhelm

[生]1839. カッセル
[没]1925. ミラノ
ドイツの有機化学者ベルギーのヘント大学で F.ケクレのもとに学び,助手をつとめたのち,ボン大学化学教授 (1867) ,ミラノ大学有機化学教授 (70) 。芳香族化合物の先駆的研究で知られ,ピラジン (69) ,アスパラギン (87) をはじめとして 126種の芳香族化合物の合成に成功した。

ケルナー
Körner, Karl Theodor

[生]1791.9.23. ドレスデン
[没]1813.8.26. ガデブシュ近郊
ドイツの詩人戯曲『ツリニー』 Zriny (1812) により文名を確立。対ナポレオン解放戦争の愛国詩人として活躍し,義勇軍に加わって戦死。死後父親の手によって編纂された詩集『琴と剣』 Leyer und Schwert (14) は,熱狂的に迎えられた。

ケルナー
Kerner, Justinus Andreas Christian

[生]1786.9.18. ルートウィヒスブルク
[没]1862.2.21. ワインスベルク
ドイツの詩人,神秘家。シュワーベン派に属するロマン主義詩人で,抒情的な民謡調の詩を多く書いたが,次第に神秘的傾向を示し,霊力,交霊などを信じ,その方面著作もある。

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改訂新版 世界大百科事典 「ケルナー」の意味・わかりやすい解説

ケルナー
Oskar Kellner
生没年:1851-1911

農芸化学者。ケルネルともいう。プロイセンシュレジエンに生まれ,ブレスラウおよびライプチヒ大学に学び,家畜飼養学の研究教育にたずさわった。1881年日本政府の招きにより駒場農学校(現,東京大学農学部)農芸化学教師として来日し,11年間滞在した。その間,稲作肥料試験,家畜飼養,農産物製造などについての多くの研究をした。92年日本婦人と婚約し,日本に永住を決意したが,同年本国のメッケルン農事試験場長に迎えられて赴任し,以後19年にわたり勤務,デンプン価を基準とする家畜飼料単位の計算法を完成した。
執筆者:

ケルナー
Justinus Kerner
生没年:1786-1862

ドイツの詩人。ルートウィヒスブルクに生まれ,後期ロマン派のシュワーベン詩派の一人で,民謡風の洒脱な詩を書き,《旅の影絵》(1811)など散文集を遺す。医学を学び,ヘルダーリンを診察したこともある。1819年以後ワインスベルクに定住。ワイバートロイ城の維持に尽力したり,降霊術を研究したり,たえず話題をまき,自宅に学者,詩人など多くの客を迎え,典型的な文人として慕われていた。
執筆者:

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朝日日本歴史人物事典 「ケルナー」の解説

ケルナー

没年:1911.9.22(1911.9.22)
生年:1851.5.13
明治期に来日したお雇いドイツ人教師。同僚のフェスカと共に日本農学の近代化に貢献した。シレジア州チルロウィツ生まれ。ブレスラウ,ライプチヒ両大学で家畜を対象に生化学を専攻。明治14(1881)年来日,駒場農学校(東大)で農学を教えた。研究方法は実験室内での化学分析が中心で,特に肥料の分析で業績をあげた。農業研究を精密科学化したが,一方で分析のみ偏重しすぎて農業と農学を遊離させる一因を作ったとも批判される。日本政府から勲3等,帝大名誉教授の位を贈られ,数多いお雇い外国人のうちでも最高の待遇を受けた。同25年帰国後,ライプチヒで農事試験場長になり,主に畜産の研究をした。<参考文献>桜井武雄『農業史』,斉藤之男『日本農学史』,川井一之『近代農学の黎明』

(筑波常治)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のケルナーの言及

【醸造】より

…清酒,みそ,しょうゆの醸造に重要な役割を果たしている麴についても,アールブルグHermann Ahlburgは麴をつくるカビを分離し,命名した。さらにO.ケルナーは麴の酵素の性質を調べている。これらの研究は,日本の醸造を近代科学の手段を用いて解明する契機となり,優良醸造酵母が次々と分離され,純粋培養した酵母を用いた醸造法が開発され,普及していった。…

【農学】より

…それらの人々の明治期農学への貢献は見落とせないが同時に招聘(しようへい)外人の中にも著しい影響を与えた人もいた。リービヒの流れをくむドイツ人O.ケルナーや,リービヒとテーアの弟子M.フェスカ,ロイブO.Loew,アメリカ人ダンE.Dunらで,在来農法・農学が直観的,経験的であったのに対して,実証的・実験的精神を注入したといってよい。ケルナーは土壌・肥料,植物栄養,家畜飼養,農産製造,蚕体生理の諸研究面において,フェスカは《日本地産論》などを著す過程において,ダンは畜種改良,牧草導入,輪作,草地改良,大型機械利用の各面において,大きな影響を与えた。…

※「ケルナー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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