グレゴリオス

精選版 日本国語大辞典 「グレゴリオス」の意味・読み・例文・類語

グレゴリオス

(Grēgorios)
[一] ギリシア神学者東方教会の四大博士の一人。カッパドキアのナジアンゾスに生まれる。コンスタンチノープル主教をつとめ、引退後ニカイア信仰の完成に努力。雄弁家として知られ、散文、詩、書簡を残す。(三三〇頃‐三九〇頃
[二] ギリシアの神学者。東方教会の教父。聖バシリウスの弟。カッパドキアのニッサの主教をつとめ、コンスタンチノープルの宗教会議では、アリウス派と戦って正統的三位一体論を弁護した。主著「大教理問答書」。(三三二頃‐三九五頃

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「グレゴリオス」の意味・わかりやすい解説

グレゴリオス(ナジアンゾスの)
Grēgorios
生没年:329-389

ニカエア信仰の確立に貢献したギリシア教父。〈カッパドキア三星〉のひとり。カッパドキアのナジアンゾスNazianzos(現,ネネジ)の主教の息子。アテナイで学び,その地で大バシレイオスと友誼を結んだ。故郷に戻り,意思に反して司祭となり,のち新たに設けられたサシマの主教に任命されたが,それを断り,ナジアンゾスで父の主教職の補佐をつとめた。父の死後イサウリアセレウキアに隠棲し,修道生活をおくった。しかし,ニカエア派の皇帝テオドシウス1世の登極とともに,379年アリウス派が勢力をふるっていたコンスタンティノープルに呼ばれた。そして復活教会を本拠にニカエア派の立直しをはかり,381年のコンスタンティノープル公会議ではニカエア派が全面的な勝利をおさめた。この公会議でコンスタンティノープル主教に推されたが,教会政治上の争いにまきこまれ,その年のうちにそれを辞し,カッパドキアに戻った。晩年は,キリストの人性に制限を加えたアポリナリオスの教説と戦った。著作は多数にのぼる。雄弁家として華麗な説教で知られたコンスタンティノープル時代の説教集は,キリスト教弁論の手本となった。また生前みずから公刊した書簡集によって書簡文作家としての名声も得た。さらに晩年は詩作に手をそめた。大バシレイオスとともに,オリゲネスの著作からの抜粋《フィロカリア》を編集した。
執筆者:

グレゴリオス(ニュッサの)
Grēgorios
生没年:330ころ-395ころ

ニカエア信仰の根幹をなす三位一体論を確立したギリシア教父。〈カッパドキア三星〉のひとり。大バシレイオスの弟。カッパドキアのカエサレアの名門の出身で,弁論家として立ったが,ほどなく聖職を志し,兄の建てた修道院に入った。371年ころニュッサNyssaの主教に推されたが,アリウス派によって罷免され,ウァレンス帝の死(378)まで追放されていた。381年のコンスタンティノープル公会議ではニカエア派の勝利のために尽力した。その後は教会の使命を帯びて各地を旅行した。教会政治家としては兄ほどのめざましい業績をあげなかったが,古代の異教哲学の方法をも身につけた思想家として,ニカエア信仰の完成に寄与した。三位一体論に関して,アタナシオスの神学においても混同のあった〈ウシア(本質)〉と〈ヒュポスタシス(位格)〉をはっきり区別し,今日に伝わる一本質三位格の神論を確立した。キリスト論について,受肉はマリアの胎内で行われるがゆえに,マリアは真の〈テオトコス(神の母)〉であるとした。終末論についてはオリゲネスの影響が著しい。多数の著作を残したが,アポリナリオス,エウノミオスなどに対する駁論によって自己の神学説を展開,また《教理講話》では三位一体論を中心とする教義を解説。修道生活については《純潔論》,女子修道院長をつとめた姉マクリナの伝記などが知られる。
執筆者:

グレゴリオス(アルメニアの)
Grēgorios
生没年:240ころ-332

アルメニアにキリスト教を伝えたアルメニア貴族の末裔。〈開明者〉と称される。カッパドキアに育ち,280年ころ故国に帰り,同じころアルメニアに帰国した国王ティリダテス(トルダト)3世の改宗に成功した。かくしてアルメニアは,4世紀初頭に世界で初めてキリスト教を国教として受容した。グレゴリオスは再びカッパドキアに行き,カエサレア主教によって主教に叙階され,帰国後,国王によってアルメニア教会の首長カトリコスに任命された。アガタンゲロスによる伝記が残されている。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のグレゴリオスの言及

【神学】より

…4世紀から5世紀初めは神学の伝統が確立した時期である。東方ではアタナシオス,バシレイオス,ナジアンゾスのグレゴリオス,ニュッサのグレゴリオスらが三一神論の確立に努力した。また神礼拝を通して人間の神化が目ざされる修道的・霊的・神秘的な東方教会の神学の基礎がすえられた。…

【ビザンティン文学】より

…最も正確にある話を人前で述べ,何かを叙述し,一命題について賛成,反駁を行い,一つのメンタリティになりきって考え,個々の主題を根拠づける等々の諸形式にのっとって作文を書かせる,プロギュムナスマタprogymnasmataと呼ばれた数多くの下稽古作品には,凡庸な大多数の綴方に交じって,ギリシア神話に題材を求めた,バシラケスNikēphoros Basilakēs(1115‐80ころ)の《一頭の牡牛に熱愛されてパシファエは何といったか》のような性的倒錯症を思わせるものや,風呂好きの享楽主義者である一府主教を取り上げた,エウスタティオス(12世紀)の《モキッソス府主教は,恩人である至聖の総主教ミハエルの死去の翌日に入浴中,大オイコノモス職のパンテクネスの指令により,ベッドカバー,湯上りタオルその他が取り上げられ,まちの貧乏人たちに施物として与えられたとき,何といったか》のような実話もどきのものも含まれている。修辞学の技術を最高度に駆使した代表的なジャンルが,皇帝や国家・教会高官にささげられた,エンコミアenkōmiaと呼ばれた数多くの賛美演説,その反対の,プソゴスpsogosと呼ばれた非難演説(なかでも興味ある一事例は,皇帝ユリアヌス作のアンティオキア市民に対する《ひげ嫌い》の作品),墓碑銘と弔辞,その他の機会の演説,君主の鑑(たとえば,アガペトスがユスティニアヌス1世に,オフリト大主教テオフュラクトスがドゥカス家のコンスタンティノスに,ニケフォロス・ブレミュデスが弟子たる若き皇太子テオドロス2世ラスカリスに,マヌエル2世が後継者たる子のヨハネス8世にあてたもの),自伝(リバニオス,ナジアンゾスのグレゴリオス,ミハエル8世,キュドネス・デメトリオス),都市や教会の描写(テオドロス・メトヒテスのコンスタンティノープル,パウロス・シレンティアリオスのハギア・ソフィアなど)などである。
[歴史叙述]
 ビザンティン帝国の歴史はそのほぼ全期間がプロコピウスプセロスアンナ・コムネナ,ニケタス・ホニアテスNikētas Chōniatēs(1155ころ‐1215∥16),ヨハネス6世カンタクゼノスIōannēs VI Kantakouzēnos(在位1341‐54)その他の史書や,歴史の主人公でもある皇帝,皇子,皇女,高官などの自身による同時代史叙述によっておおわれている。…

【神学】より

…4世紀から5世紀初めは神学の伝統が確立した時期である。東方ではアタナシオス,バシレイオス,ナジアンゾスのグレゴリオス,ニュッサのグレゴリオスらが三一神論の確立に努力した。また神礼拝を通して人間の神化が目ざされる修道的・霊的・神秘的な東方教会の神学の基礎がすえられた。…

【バシレイオス[カッパドキアの]】より

…〈カッパドキア三星〉のひとり。ニュッサのグレゴリオスの兄。〈大バシレイオス〉と呼ばれ,東方教会では〈修道生活の父〉として特に敬意がはらわれている。…

※「グレゴリオス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

青天の霹靂

《陸游「九月四日鶏未鳴起作」から。晴れ渡った空に突然起こる雷の意》急に起きる変動・大事件。また、突然うけた衝撃。[補説]「晴天の霹靂」と書くのは誤り。[類語]突発的・発作的・反射的・突然・ひょっこり・...

青天の霹靂の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android