グレゴリウス聖歌(読み)ぐれごりうすせいか

世界大百科事典(旧版)内のグレゴリウス聖歌の言及

【イタリア音楽】より


[中世]
 西方のキリスト教会がローマを中心にして中央集権的な体制を固めつつあったころ,グレゴリウス1世は,典礼聖歌の集大成とその普及に力を入れ,スコラ・カントルム(歌手の学校の意)の整備拡充を図った。グレゴリオ聖歌(グレゴリウス聖歌)として知られているローマ・カトリック教会の単旋典礼聖歌の体系が,7世紀のローマを中心にでき上がって連綿と伝えられてきたものとは考えがたいし,もしかしたら今日の体系(実質的には16世紀に整えられた)の中軸をなす歌の多くは,アルプス以北の諸地方で何世紀にもわたって作られてきたものかもしれないのだが,グレゴリウス1世の名は,中世以来,西方のキリスト教会の単旋典礼聖歌と結びつけられてきた。 11世紀の末ごろから南フランスで盛んになったトルバドゥールの芸術は,13世紀のイタリアでトロバトーレの活動をうながすことになり,ダンテらもその影響を受けたようであるが,トロバトーレの歌の楽譜は一片も残っていない。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」