グラフ・ジャーナリズム

世界大百科事典 第2版 「グラフ・ジャーナリズム」の意味・わかりやすい解説

グラフ・ジャーナリズム

写真図像など図版主体とした新聞,雑誌などの出版形態,またはその方法をさす日本での用語。写真が主体の場合はフォトジャーナリズムphoto journalismというが,両者の厳密な区別はされていない。また普通,英語国で《ライフ》や《ルック》などの類をさしていうことばはフォト・ジャーナリズムあるいはピクトリアル・ジャーナリズムpictorial journalismなどであり,グラフ・ジャーナリズムという語は用いられない。

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世界大百科事典内のグラフ・ジャーナリズムの言及

【組写真】より

…複数の写真を組み合わせて,事物や意見,感情などを伝える一群の写真,あるいはその方法。グラフ・ジャーナリズムの手法として,〈――の一日〉とか〈――のできるまで〉などという形で常用されている。もともと一枚で見る写真は,それだけで完結することを目標に撮影される。…

【ザロモン】より

…ベルリン生れの写真家。1920年代を通じて写真の大量印刷が世界的規模で一般化するが,とくにドイツでは《ベルリーナー・イラストリールテ・ツァイトゥング》をはじめ写真グラフ雑誌が隆盛で,フォトジャーナリズム(グラフ・ジャーナリズム)が社会的に重要な大衆メディアとして確立していた。ザロモンは,小型カメラを隠し持ち,当時,撮影が禁止されていた重要な国際会議場や法廷に現れ,数々の写真をものにしてジャーナリズムをにぎわした。…

【写真】より

…構成主義,シュルレアリスム,新即物主義などの芸術思潮がその作品とともに日本に紹介され,こうした契機から新進気鋭の写真家が単なる趣味を脱した写真表現者としての立場から,写真活動を行うようになった。またこの前後の時期にはグラフ・ジャーナリズムの隆盛から,営業写真家以外のジャーナリスティックな職業写真家が活動の場を得ることになるのだが,その土壌となったのもアマチュア写真家の広い層であった。
[肖像写真の系譜]
 写真の歴史において肖像写真はその初期の段階から特別な地位を占める。…

【スミス】より

…カンザス州のウィチタ生れ。18歳で《ニューズ・ウィーク》,19歳で《ライフ》のスタッフとなったスミスは,以後一貫してフォト・ジャーナリズム(グラフ・ジャーナリズム)の世界を歩んだ。彼の求道的・理想主義的なヒューマニズムはグラフ雑誌編集者との衝突も生んだが,数々の人間愛に満ちた傑作を生みだした。…

【ドキュメンタリー写真】より

…こうして写真がジャーナリズムに取り上げられるようになるのは当然のなりゆきで,19世紀の終りごろから20世紀にかけて急速にニュース写真やフォト・ルポルタージュの分野が専門化し,今日われわれが考えるようなドキュメンタリー写真の素地となった。ドキュメンタリーの概念を明確に意識して撮影がされはじめたのは,おそらく1930年前後のグラフ・ジャーナリズムの隆盛期といってよかろう。写真を主体とした新聞,雑誌が多数出版されるにしたがって,写真によるメッセージの特質が問われはじめた。…

※「グラフ・ジャーナリズム」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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