グラスゴー(イギリス)(読み)ぐらすごー(英語表記)Glasgow

翻訳|Glasgow

日本大百科全書(ニッポニカ) 「グラスゴー(イギリス)」の意味・わかりやすい解説

グラスゴー(イギリス)
ぐらすごー
Glasgow

イギリス、スコットランド中部、ストラスクライド地区の港湾・工業都市。スコットランド最大の都市で、人口57万7869(2001)。クライド川河口より20キロメートル上流に位置する。地名はダーク・グレン(暗い谷の意)に由来する。各種の商工業が集積するスコットランド経済の一大中心地で、交通の要衝。1707年イングランドとスコットランドとの連合後から産業革命期に至るまでに急速な発展を遂げ、東岸にあるスコットランド文化の中心地エジンバラとは対照的に、イギリス北方経済圏の中心地としての地位を築いた。繊維工業がもっとも早くから立地し、現在はこれにかわって鉄鋼造船工業が重要産業をなす。クライド川の沿岸から河口にかけての臨港工業地帯には多くの造船所が集積し、世界最大の豪華客船「クイーン・エリザベス1世号」やイギリス海軍の艦艇はここで建造された。そのほか化学、ガラス、製紙、電気機械、ウイスキーなどの工業が発達している。

 市の発展に伴って、1800年からわずか70年間に人口は約7倍に急増し、1914年には100万人を超え、30年には120万を数えた。製鉄能力、建造船舶トン数は、往時の工業先進国ドイツやアメリカを優に超え、これらの工業製品はグラスゴー港から繊維製品などとともに海外に輸出された。グラスゴーは世界に君臨する大英帝国の栄光一翼を担っていた。しかし最近の人口減少は著しい。1951年に108万人であったものが、71年には89万、81年には76万、91年には66万へと減少して100万都市の名を返上し、構造的不況失業に悩んでいる。

 市の南郊50キロメートルのプレストウィックに国際空港がある。鉄道ではロンドン・北東鉄道(LNER)とロンドン・スコットランド鉄道(LMSR)の発着駅となっている。グラスゴー大学は、アダムスミスが経済学・倫理学講座を担当した大学として有名で、公園からみる尖塔(せんとう)が美しい。第二次世界大戦中には市街地の主要部が空襲爆撃され、高層住宅が大きな被害を受けた。イギリス有数の出版社ウィリアム・コリンズ社は、1819年創設以来グラスゴーを本拠地としている。

[米田 巌]

歴史

先史時代、この一帯に集落のあったことが判明しており、また6世紀なかばごろ聖ケンティガーンが教会を建てたといわれているが、グラスゴーが明確に歴史に登場するのは12世紀である。同世紀初めにグラスゴー司教区が設けられ、以後は司教都市として発展してきた。またハイランドとローランドを結ぶ交易地としても栄え、1450年には王許都市としての特権を与えられ、翌年にはグラスゴー大学が創設された。1638年の「国民契約」作成に伴う革命の際には、グラスゴー大聖堂においてスコットランド教会総会が開催され、長老主義の完全復活が決議された。

 グラスゴーの劇的変化は18世紀に生じた。1707年のイングランドとの連合により、スコットランドの諸都市、とくにグラスゴーには、アメリカ貿易と西インド貿易による繁栄の機会が与えられた。とりわけ、たばこ交易の発展は著しく、多数の「たばこ王」を生み出した。しかしアメリカ独立革命がたばこ交易に甚大な影響を与えたので、独立戦争後グラスゴー商人は綿花輸入に転じ、木綿工業は多くの人口をグラスゴーに引き付けた。産業革命後には炭坑業や、とくに造船業が盛んとなったが、第一次世界大戦と第二次世界大戦との戦間期(1918~39)には不景気にみまわれて、左翼の政治活動が活発となった。第二次世界大戦以降、産業は多様化しつつあるが、景気は上昇せず、さまざまな都市問題を抱え込んでいる。

[飯島啓二]

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