グイッチャルディーニ(英語表記)Francesco Guicciardini

改訂新版 世界大百科事典 「グイッチャルディーニ」の意味・わかりやすい解説

グイッチャルディーニ
Francesco Guicciardini
生没年:1483-1540

イタリア,フィレンツェ名門に生まれた法律家,政治家,歴史家。その一生は,メディチ家を中心としてめまぐるしく変わった,当時の政情によって彩られている。1494年のメディチ家追放後の共和政下にあって,彼は体制に批判的なグループの後押し政界に登場した。その政治的立場は,一方で民衆の支配の過激化に反対しつつ,他方で絶対君主化を求めるメディチ家に抗して,名門貴族の指導する共和政を擁護するものであった。したがって彼は民衆の支配およびメディチ家の支配に対して一貫して抵抗し続けることになる。その一方で彼はレオ10世,クレメンス7世というメディチ家出身の教皇に仕え,教会領の行政官としても活躍した。この間彼はマキアベリとの接触の機会をもった。しかし1527年の〈ローマ劫掠〉はこうした教会の行政官として彼の活動に終止符を打ち,彼はアレッサンドロ,コジモというメディチ家の若い君主に仕えることになる。しかし1530年に共和政が崩壊し,民衆の政治支配が徹底的に排除されるとともに,彼の政治理念はメディチ家の絶対主義化に抗する基盤を失った。そのため彼は自らの政治理念を実現する展望もないままに,失意うち晩年を送ることになった。彼の作品としては晩年の大著イタリア史》や《フィレンツェ史》といった歴史書ほか多く政体についての議論があるが,特に《回想録》は彼の人間や政治についての鋭い観察を収録したものとして有名である。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「グイッチャルディーニ」の意味・わかりやすい解説

グイッチャルディーニ
ぐいっちゃるでぃーに
Franceso Guicciardini
(1483―1540)

ルネサンス末期のフィレンツェの政治家、政治思想家、歴史家。名門の貴族の家に生まれ、外交官や行政官として主としてメディチ家の2人の教皇、レオ10世とクレメンス7世に仕えた。そして政治活動のかたわら『フィレンツェ史』(1509)、『フィレンツェ政体論』(1526)などを執筆した。晩年にはメディチ家のコジモ1世によって政界から退けられ、失意のうちに大著『イタリア史』(1537~1540)の完成に打ち込んだといわれる。彼の作品のなかでもっとも有名なのは『回想録(リコルディ)』であり、そこには人間や政治についての鋭い考察が数多くみられる。政治的には貴族の政治的役割を強調して民主制を抑制する立場をとり、また主としてイタリア各国の同盟によってイタリアへの外国の干渉を防ごうとした。畏友(いゆう)マキャベッリが現状変革のためにさまざまな方策を示したのに比べて、彼は全体として保守的であった。

[佐々木毅]

『末吉孝州・川本英明訳『イタリア史』全7冊(2001~2007・太陽出版)』『末吉孝州訳『フィレンツェ史』新装版(2006・太陽出版)』

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