クーパー(英語表記)Gary Cooper

精選版 日本国語大辞典 「クーパー」の意味・読み・例文・類語

クーパー

[一] (William Cowper ウィリアム━) イギリスの詩人。ロマン派の先駆として、一八世紀後半の詩壇を代表。「課題」「オルニー讚美歌集」など。(一七三一‐一八〇〇
[二] (James Fenimore Cooper ジェームズ=フェニモア━) アメリカの作家。独立戦争に取材した「スパイ」、また、「モヒカン族の最後」を含む「皮脚絆物語」五部作で有名。(一七八九‐一八五一

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デジタル大辞泉 「クーパー」の意味・読み・例文・類語

クーパー(Gary Cooper)

[1901~1961]米国の映画俳優。西部劇を中心に、さまざまな分野の映画に出演した。代表作「モロッコ」「真昼の決闘」「昼下りの情事」など。

クーパー(James Fenimore Cooper)

[1789~1851]米国の小説家。海洋小説と開拓時代の辺境生活を主題とした歴史的小説を書いた。作「モヒカン族の最後」「大草原」など。

クーパー(Cowper)

カウパー

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改訂新版 世界大百科事典 「クーパー」の意味・わかりやすい解説

クーパー
Gary Cooper
生没年:1901-61

アメリカの映画俳優。モンタナ州に生まれる。長身,朴訥(ぼくとつ),無口,しかし強い意志を底にひめた〈善良なアメリカ人〉というイメージで,1930年代から50年代末まで長い人気を保った(1937年から57年まで,途中の2度を除き,21年間〈マネー・メーキング・スター〉のベストテンに名をつらねた)。《モロッコ》(1930),《真珠の頸飾》(1936)ではマレーネ・ディートリヒ,《誰が為に鐘は鳴る》(1943),《サラトガ本線》(1945)ではイングリッド・バーグマン,そして晩年の《昼下りの情事》(1957)ではオードリー・ヘプバーンと,その時代の代表的美人女優を相手にロマンチックな役どころを演ずる永遠の二枚目であり続け,《オペラハット》(1936)や《青髯八人目の妻》(1938)のようなコメディから《ベンガルの槍騎兵》(1935)などの冒険活劇,《ヨーク軍曹》(1941)などの戦争映画に至るまで幅広いジャンルの作品に主演。とりわけ《バージニアン》(1929),《平原児》(1935),《西部の男》(1940),《遠い太鼓》(1951),《真昼の決闘》(1952),《ベラクルス》(1954)などにより西部劇スターとして世界中に知られた。また《戦場よさらば》(1932。原作は《武器よさらば》),《誰が為に鐘は鳴る》によって,〈完ぺきなヘミングウェー・ヒーロー〉とも評される(実際,ヘミングウェーはクーパーを念頭において《誰が為に鐘は鳴る》の主人公ロバート・ジョーダンを書いたともいわれる)。カウボーイ,漫画家を経て,1926年に映画俳優としてデビュー。《ヨーク軍曹》と《真昼の決闘》で2度アカデミー主演男優賞を受賞。死の直前,アカデミー協会は彼に特別功労賞を与え,死の当日(5月13日)カンヌ映画祭は〈ゲーリー・クーパー賞〉を新設した。
執筆者:

クーパー
James Fenimore Cooper
生没年:1789-1851

アメリカの小説家。処女作《用心が肝要》(1820)から《現代の世相》(1850)に終わる30年の作家活動を通じて50にのぼる小説,評論,歴史,時評などを書いた。作家として有名となったのは第2作の《スパイ》(1821)によってで,独立後まのないアメリカの作家たちの関心事であり,かつ課題であった〈芸術の素材〉を,独立革命時のワシントン将軍とそのスパイに見いだした。その後同様の素材および17世紀の植民者とインディアンというアメリカの〈歴史〉を扱った《ライオネル・リンカン》(1825),《ウィッシュ・トン・ウィッシュの悲話》(1829),《ウィアンドテ》(1843)などを書いて新しい国の文学への道を開いた。また子どものときに過ごしたニューヨーク州の大森林と湖,青年期を過ごした水夫および海軍士官の生活を,《水先案内》(1823),《二人の提督》(1842)その他で題材とした。つまり森と海という二つの辺境,そして植民時代,独立革命を含むアメリカの過去を〈アメリカ〉文学の題材として開拓し,また後続の作家たちに道を開いた。彼の最も有名な作品は《レザーストッキング物語》(1823-41)であるが,上述二つの題材を生かしながらナティ・バンポーという主人公を通して,民主主義という新しい政体と社会の重要性とそのなかに含まれる危険を指摘し続け,その指摘は今日の世界にそのままあてはまるところが多い。
執筆者:

クーパー
William Cowper
生没年:1731-1800

イギリスの詩人。法律を修めたが,生来の憂うつ症で性格が不安定であり,実務にはつけなかった。1765年,ハンティンドンのモーリー・アンウィンという牧師の知遇を得,その家に寄留するうち,牧師夫妻の快活であたたかい人柄に救われて,精神的にも安定する期間が長くなった。67年牧師の死後はその未亡人メアリーとオルニーに移り住み,相互に敬愛の念を抱きつつ,しかしついに結婚することはなかった。その間に作った《オルニー賛美歌集》(1779),《詩集》(1782)などは,彼の傷つきやすい魂が神や自然に向かってあえぐ様子が見てとれる。6巻5000行を超える無韻(ブランク・バース)の大作《課題The Task》(1785)で筆名は天下にとどろいたが,その後も憂うつ症の発作をくりかえし,とくに96年にメアリーを失ってからは,廃人に近い余生を送ることになる。しかし彼の人なつこさは,友人たちにあてた絶妙なる書簡文ににじみ出ている。
執筆者:

クーパー
Kent Cooper
生没年:1880-1965

アメリカのジャーナリスト。インディアナ州コロンバスに生まれる。初め通信社UPの記者として活動。のちAPに移り,南アメリカ,ヨーロッパにおけるAP配信網の整備・拡大に努力。1930年代,第2次大戦中の経験をふまえて,戦後,巨大化するメディア状況のなかで読者の〈知る権利〉の重要さを強調(《The Right to Know》1956),この言葉の普及,問題の所在の照明にあずかって力があった。著書には《障壁を破る》(1942),《ケント・クーパーとAP》(1958)などがある。
執筆者:

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化学辞典 第2版 「クーパー」の解説

クーパー
クーパー
Couper, Archibald Scott

スコットランドの化学者.グラスゴー大学で人文学と古典語,エジンバラ大学で論理学と哲学を学んだ後,1854年に大陸に渡り,ベルリンに滞在中に化学に関心をもち,1856年パリに移ってからC.A. Wurtz(ウルツ)の研究室で研究をはじめた.ベンゼンの臭素化やサリチル酸の研究などの後,1858年はじめに炭素の四価性と炭素と炭素の間の結合を論じ,化学式における原子価を表す線をはじめて導入した“化学の新理論について”を書き上げ,Wurtzにパリの科学アカデミーでの発表を依頼した.まだアカデミー会員でなく発表の資格のなかったWurtzにかわって,6月にJ.B.A. Dumas(デュマ)がアカデミーで発表し,まもなく出版された.しかし,F.A. Kekulé(ケクレ)が同様の趣旨の有名な論文を5月に発表していたため,Couperの先取権は認められず,そのことでWurtzとも衝突し,秋にスコットランドに帰国.母国で精神障害となり,以降科学論文を発表することはなく,Kekuléの弟子のR. Anschützが発掘するまで長らく忘れられた存在だった.

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「クーパー」の意味・わかりやすい解説

クーパー
Cowper, William

[生]1731.11.26. グレートバーカムステッド
[没]1800.4.25. イーストディアラム
イギリスの詩人。法廷弁護士となったが憂鬱症が昂じ,自殺を企てて挫折。1765年ハンティンドンの牧師モーリー・アンウィン家に身を寄せ,1767年アンウィンの死後,未亡人メアリーとともにオルニーに移り,ここで『オルニー賛美歌集』Olney Hymns(共作,1779)をはじめ多くの詩を書いた。なかでも『ジョン・ギルピン』The Journey of John Gilpin(1783),『務め』The Task(1785)などは有名。1787年の発作以後は完全に正気に戻ることがなかった。1791年ホメロスの翻訳を出版。1795年イーストディアラムに移り,翌 1796年長年献身的な世話を受けていたメアリーの死にあい大きな衝撃を受けた。名作『難船者』The Castaway(1798)は自身を「撃たれたシカ」になぞらえた不運な詩人の辞世の詩である。書簡文の名手としても知られている。

クーパー
Cooper, James Fenimore

[生]1789.9.15. ニュージャージー,バーリントン
[没]1851.9.14. ニューヨーク,クーパーズタウン
アメリカの小説家。旧家の生れで,エール大学を中退後,船員となり,のち海軍に入る。『スパイ』 The Spy (1821) ,『水先案内人』 The Pilot (23) などアメリカ独立戦争に題材を取った数編の小説と,『開拓者』 The Pioneers (23) 以下の,文明を憎み自然を愛する辺境人ナティ・バンポーを主人公にした,いわゆる「革脚絆物語」 Leatherstocking tales5部作で知られ,アメリカのウォルター・スコットと呼ばれた。その他『セイタンズトー』 Satanstoe (45) に始る「リトルページ家年代記」 Littlepage Chronicleと称する3部作の社会小説,『アメリカの民主主義者』 The American Democrat (28) をはじめとする評論など著書多数。

クーパー
Cooper, Thomas

[生]1759.10.22. ロンドン
[没]1839.5.11. サウスカロライナ,コロンビア
アメリカの教育者,化学者,法律家,政治哲学者。オックスフォード大学に学び,1794年アメリカに移住して法曹界で活躍。 T.ジェファーソンはクーパーのためにバージニア大学の自然科学と法律の初代教授の職を確保したが,教会の激しい攻撃により辞任を余儀なくされた。 1819年サウスカロライナ・カレッジに赴任,化学と政治経済を教え,21年学長になったが,自由主義的な宗教観が災いして 33年以降教壇から去った。生来の扇動家でもあり,自由貿易主義を主張,保護貿易が特に南部に不利益をもたらすことを実証しようと努めた。著書『政治論集』 Political Essays (1799) ,『政治経済学要義』 Lectures on the Elements of Political Economy (1826) など。

クーパー
Cooper, Kent

[生]1880.3.22. インディアナ,コロンバス
[没]1965.1.31. ニューヨーク
アメリカのジャーナリスト。学生時代から新聞に寄稿していたが,インディアナ大学卒業後,地元での記者,UP通信社の記者を経て 1910年 AP通信社に入った。 20年に副支配人,25年に支配人,43年には専務理事となった。その功績の一つは,ヨーロッパの3通信社 (ロイター,アバス,ウォルフ) による世界通信市場支配の一角に APを割込ませたことで,もう一つは,第2次世界大戦中の言論支配の体験に基づき,戦後取材活動の自由を「知る権利」の名で主張したことである。著書に『知る権利』 Right to Know (1956) などがある。

クーパー
Cooper, Peter

[生]1791.2.12. ニューヨーク
[没]1883.4.4. ニューヨーク
アメリカの発明家。蒸気機関車「親指トム」の発明者。 17歳で馬車製造業の徒弟に入ったのち独立して,にかわやゼラチンの製造販売に成功し,1828年にはボルティモア・オハイオ鉄道相手のカントン鉄工場をボルティモアに設立。蒸気機関車製造に着手し 40人を乗せて1時間に 18.52km走る「親指トム」の実験に成功。その後企業を拡張し 54年建築用鉄製梁を開発,またサイラス・フィールドの大西洋海底電線計画を援助して成功に導き,北アメリカ電信会社社長に就任。洗濯機,圧搾空気エンジンなどを発明し,59年クーパー・ユニオンを設立し科学技術教育にも貢献した。

クーパー
Couper, Archibald Scott

[生]1831.3.31. カーキンティロック
[没]1892.3.11. カーキンティロック
イギリスの化学者。グラスゴー,エディンバラ両大学で人文学,古典学を学んだが,ベルリンに留学して化学に転じ,さらにパリで C.ウュルツのもとで研究した。 1858年,F.A.ケクレとは独立に炭素が4の原子価をもつことや炭素が互いに結合して有機物を構成することなどを論じた。発想ではケクレより先行しながら,その公表がケクレより遅かったためにその栄を逃し,失意のうちにパリを去って故国に帰った。その後,病弱のために 30歳代前に化学研究から遠ざかった。

クーパー
Cupar

イギリススコットランド東部,ファイフ北東部の都市。肥沃なファイフ谷にあり,イーデン川に臨む。13世紀にファイフ地方の裁判所が開設されてから発展し始め,のち南部のフォース湾沿岸に大きな都市が発達してからも行政中心地としての地位を維持したが,今日ではグレンロセスに行政府所在地を譲っている。農業地帯の中心地であったが,1990年代半ばに穀物と家畜の市場が閉鎖。近年は印刷業や食品加工,化学,家具製造などの工業が行なわれる。人口 8506(2001)。

クーパー
Cooper, Samuel

[生]1609. ロンドン
[没]1672.5.5. ロンドン
イギリスのミニアチュール (小型肖像画) の画家。 A.クーパーの弟。チャールズ1世の宮廷画家であった叔父 J.ホスキンズに絵を学ぶ。克明に対象を描写し「油彩画の迫力とおおらかさをミニアチュールに与えた最初の画家」と評された。チャールズ2世と王妃,O.クロムウェル,J.ミルトンそのほか当時の著名な人物の肖像を描き,一代の名声を博した。

クーパー
Cooper, Alexander

[生]1609以前.ロンドン?
[没]1660. ストックホルム
イギリスの画家。 S.クーパーの兄。チャールズ1世の宮廷画家であった叔父の J.ホスキンズに絵を学び,肖像画,ミニアチュールを得意とした。イギリスに失望して大陸に渡り,1644~46年オランダのハーグに滞在,47年ストックホルムに行き,クリスティナ女王の御用画家となった。

クーパー
Cooper, Leroy Gordon, Jr.

[生]1927.3.6. オクラホマ,ショーニー
[没]2004.10.4. カリフォルニア,ベントゥーラ
アメリカの宇宙飛行士。マーキュリー計画のために選ばれた7人のうちの一人。海兵隊および空軍で勤務したのち,空軍工科大学卒業。テストパイロットを経て宇宙飛行計画に参加。 1963年5月マーキュリー衛星船フェイス7号で地球を 22周。次いで 1965年8月ジェミニ5号で C.コンラッドとともに地球を 128周した。

クーパー
Cooper, Leon N.

[生]1930.2.28. ニューヨーク,ニューヨーク
アメリカの物理学者。 1954年コロンビア大学より学位取得。 1955~57年イリノイ大学在職中に J.バーディーン,J.R.シュリーファーとともにBCS理論を提唱した。 1972年,他の2人とともにノーベル物理学賞を受けた。 1962年よりブラウン大学教授。

クーパー
Cooper, Sir Astley Paston

[生]1768.8.23. ノーフォーク,ブルック
[没]1841.2.12. ロンドン
イギリスの外科医,解剖学者。 1800年にガイ病院の外科医となり,13年,王立外科医師会の比較解剖学教授。ジョージ4世の侍医をつとめ,21年,准男爵に叙せられた。動脈瘤治療の目的で初めて腹大動脈の結紮 (けっさつ) に成功したほか,ヘルニア手術などに多大の進歩をもたらした。ヘルニア嚢切開器という短い刃をもったメスや,慢性嚢胞性乳腺炎に,クーパーの名が冠せられている。

クーパー
Cooper, Gary

[生]1901.5.7. モンタナ,ヘレナ
[没]1961.5.13. ハリウッド
アメリカの映画俳優。本名 Frank James Cooper。 1924年大学を中退,映画界に入る。以後,誠実な人柄と渋い演技により,アメリカ映画を象徴するスターとなった。『ヨーク軍曹』 (1941) ,『真昼の決闘』 (52) で2回のアカデミー主演男優賞を,60年同特別賞を獲得。代表作『モロッコ』 (30) ,『西部の男』 (40) ,『友情ある説得』 (56) 。

クーパー
Cooper, Giles (Stannus)

[生]1918.8.9. ダブリン,カリックマインズ
[没]1966.12.2. ロンドン
イギリスの劇作家。代表作は,住宅地の人妻の売春をコメディーとして描いた『すべては庭のなかに』 Everything in the Garden (1962) 。

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百科事典マイペディア 「クーパー」の意味・わかりやすい解説

クーパー

米国の映画俳優。モンタナ州生れ。1926年のデビュー以来,代表的男性スターとして活躍。《モロッコ》(1930年)ではM.ディートリヒ,《誰が為に鐘は鳴る》(1943年)ではI.バーグマン,《昼下りの情事》(1957年)ではA.ヘプバーンと,時代を代表する女優と共演した。西部劇にも多く出演し,《ヨーク軍曹》(1941年)と《真昼の決闘》(1952年)でアカデミー賞を受賞。
→関連項目マン

クーパー

米国の物理学者。金属電子等でクーパー対が作られることを発見し,1957年バーディーン,シュリーファーとともに超伝導を理論的に解明(BCS理論)。この業績により,1972年バーディーン,シュリーファーとともにノーベル物理学賞。
→関連項目シュリーファーバーディーン

クーパー

米国の小説家。父親の開拓した中部ニューヨーク州クーパーズタウンで少年時代を送り,イェール大学を放校され船員となった。30歳から文筆活動を始め,各種著作は50編にのぼる。自然を愛する主人公を通して辺境にアメリカの理想を追求する5部作《開拓者》(1823年),《モヒカン族の最後》(1826年),《大草原》(1827年)《道を開く者》(1840年)《鹿殺し》(1841年)は〈レザーストッキング物語〉と総称される代表作。3部作〈リトルページ家文書〉(1845年―1846年)など保守的な立場から社会問題を扱った作品も多い。ほかに海洋物語《水先案内》(1823年)など。

クーパー

英国の詩人。生涯,病的な神経におびやかされながら,ロマン主義の先駆的要素を含む詩を書いた。代表作は《課題》(1785年)。ホメロスの翻訳もある。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「クーパー」の解説

クーパー Kuper, Sir Augustus Leopold

1809-1885 イギリスの軍人。
1809年8月16日生まれ。文久2年(1862)中国から横浜に入港。3年東インドシナ艦隊司令長官となり,生麦(なまむぎ)事件の報復のため鹿児島を砲撃(薩英(さつえい)戦争)。翌元治(げんじ)元年には四国連合艦隊総司令官として長州藩を屈服させた。1885年10月29日死去。76歳。

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367日誕生日大事典 「クーパー」の解説

クーパー

生年月日:1880年3月22日
アメリカのジャーナリスト
1965年没

クーパー

生年月日:1809年8月16日
イギリスの提督
1885年没

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世界大百科事典(旧版)内のクーパーの言及

【真昼の決闘】より

…日曜日,自分自身の結婚式の当日にもかかわらず,保安官は復讐にくる殺し屋とその一味を迎えて決闘しなければならないという,西部劇としてはごくありきたりの物語を,緻密(ちみつ)な心理描写(花嫁や町の人々から協力を得られぬ孤立無援の保安官の焦躁,苦悩など)や時間的なリアリズム(殺し屋が乗ってやってくる列車が町に到着する正午までの1時間20分を,たえず時計を画面に見せながら,正確に〈同時進行形〉で描く,等々)で構成し,ホームドラマと恋愛映画を西部劇のなかにもちこんだジョージ・スティーブンズ監督《シェーン》(1953)などとともに,西部劇を子ども向けの活劇からおとなの映画に変えた画期的な作品である。苦悩する保安官を演じたゲーリー・クーパーはこの作品で2度目のアカデミー主演男優賞を獲得(最初のオスカーは《ヨーク軍曹》(1941)で受賞),老成した味を見せる第2のキャリアの出発点になった。【広岡 勉】。…

【アメリカ文学】より

…W.アービングは《ニッカボッカーのニューヨーク史》(1809)で,歴史をフィクションに移し,《旅人の物語》(1824)では,深刻さを欠き,短編が多くなる末期型のゴシック・ロマンスを発展させ,ホーソーンやポーを先取りした。アメリカのスコットと呼ばれたJ.F.クーパーは五部作《レザーストッキング物語》(1823‐41)において,高貴な開拓者ナティ・バンポーを文明と荒野の接点に置き,アメリカのフロンティアに大ロマンスを展開させた。W.C.ブライアントは大自然をたたえ,〈アメリカ詩の父〉となった。…

【児童文学】より

…実生活の問題を含んだ題材がガーネットE.Garnettの《袋小路1番地》(1937)からしだいに多く扱われはじめ,60年代のメーンやタウンゼンドJ.R.Townsendにうけつがれ,さらに思春期の少年小説が,ウォルシュJ.P.WalshやペートンK.M.Peytonによって書かれている。
[アメリカ]
 アンデルセンと同じ時代に,アメリカではW.アービングが《リップ・バン・ウィンクル》(1802)を書き,J.F.クーパーがインディアンものを1823‐41年につづけて出し,N.ホーソーンがはっきり子どもをめざして昔の歴史や神話を書きなおしていた。52年のストー夫人の《アンクル・トムの小屋》はむしろ社会的な事件であったが,それよりも65年のドッジ夫人M.M.Dodgeの《ハンス・ブリンカー(銀のスケート靴)》は,児童文学上の事件であった。…

【歴史小説】より

…アメリカは〈歴史のない新しい国〉と呼ばれることが多いが,おそらくそのためであろうか,今日では建国の時代,西部開拓時代を扱ったアメリカ国民文学を求める声が高い。文明に汚されない自然児ナティ・バンポーを主人公とし,独立戦争前後の時代を舞台とするJ.F.クーパーの一連の小説(《レザーストッキング物語》)は,スコットの小説を新大陸に移植して成功した歴史小説とみなしてもよい。アフリカ,アジア,南アメリカでも,それぞれの民族のルーツを確認する国民的歴史小説の傑作が生み出されている。…

【レザーストッキング物語】より

…アメリカの小説家J.F.クーパーの《開拓者》(1823),《モヒカン族の最後の者》(1826),《大草原》(1827),《探検者》(1840),《鹿狩り人》(1841)からなる5部作。共通する主人公のナティ・バンポーがいつも革脚絆を着用している姿から,このシリーズの名称が生まれた。…

※「クーパー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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