日本大百科全書(ニッポニカ) の解説
クーパー(Archibald Scott Couper)
くーぱー
Archibald Scott Couper
(1831―1892)
イギリスの化学者。スコットランドのカーキンティロッホに生まれる。グラスゴーおよびエジンバラ大学で、古典と哲学を修めてのち、大陸に渡り、化学に転じた。1858年、彼はパリのウュルツの研究室にいて、炭素の四価説と分子構造に関する論文『化学の新理論について』を学士院に提出しようとしたが、その論文は哲学的、演繹(えんえき)的であり、あまりに大胆な思考を含んでおり、行きすぎているという理由で師から拒否された。そのうちに同様の論文がケクレによって発表され、ただちに科学界に認められた。クーパーの論文の抄録は1月遅れて学士院に提出されたが、手遅れで、ケクレに与えられた栄誉の一片さえも分担できず、クーパーは30歳で学界から姿を消し、故郷へ帰り、失意と日射病がもとで廃人になり寂しく世を去った。彼の業績が明るみに出たのは、没後14年を経てからで、彼のたった一つの論文は、ケクレよりも表現が近代的で優れており、構造式を与えているなどの点で科学史上不朽の名をとどめることになった。1931年、生誕100年に際してこの悲劇の天才を記念するために生家に碑が建てられた。
[都築洋次郎]