クレディ・スイス(読み)くれでぃすいす(英語表記)Credit Suisse

日本大百科全書(ニッポニカ) 「クレディ・スイス」の意味・わかりやすい解説

クレディ・スイス
くれでぃすいす
Credit Suisse

スイス拠点とし、50を超える国でグローバルな金融活動を展開するクレディ・スイス・グループの中核銀行。略称、CS。2023年、クレディ・スイス・グループはスイス金融大手のUBSグループに買収され、クレディ・スイスは同グループの完全子会社となった。本社チューリヒ

[三和裕美子 2024年1月18日]

歴史

資本主義の発達に伴い、産業革命の時期から近代的な銀行制度が発達してきたイギリス、フランス、オランダなどの諸外国に比べて、スイスにおける銀行制度の発達は遅く、19世紀のなかば以降のことであった。このころになるとヨーロッパの商業はアルプス周囲の鉄道を中心に行われるようになり、輸送手段としての鉄道の必要性が強く意識され、スイスの産業も鉄道なくしては存在しえない状況になった。鉄道は巨大な資本を必要とし、クレディ・スイス銀行はこのような需要にこたえるため、1856年アルフレッド・エッシャーAlfred Escher(1819―1882)によって設立された。1905年に最初の支店バーゼルに開設、その後スイス国内の営業基盤を強化していった。

 スイスの銀行が国際的金融活動に積極的になっていったのは第二次世界大戦後であるが、クレディ・スイスはすでに1940年に初めての海外支店をニューヨークに開設し、積極的な姿勢を示してきた。1978年には国際的な投資銀行業務を行うため、アメリカの投資銀行ザ・ファースト・ボストン・コーポレーションThe First Boston Corp.と提携、1988年に同社を傘下に置いた。そして1989年にグループ企業の持株会社としてクレディ・スイス・ホールディングが組織された。

 このように国際的な業務に進出する一方で、国内基盤の整備にも力を注いでいった。1990年にはスイスでもっとも古い歴史をもつ銀行の一つであり、当時資産規模でスイス第5位のロイ銀行Bank Leuを買収。またその後、1990年代にスイス・フォルクス銀行Swiss Volksbankの買収、保険大手のスイス・リー社Swiss Re、ウィンタートゥール・グループWinterthur Groupとの提携などを通して、アルフィナンツAllfinanz(ヨーロッパ、とくにドイツ金融界でみられる業態であり、銀行が従来の業務を越えて生命保険業などの他分野に積極的に参入すること)の考え方を追求し、小口金融業務や保険業務にも営業活動を拡大していった。1996年クレディ・スイス・ホールディングからクレディ・スイス・グループに改組。1997年にウィンタートゥール・スイス保険と合併、1998年にはアメリカの投資銀行ドナルドソン・ラフキン・ジェンレットDonaldson, Lufkin & Jenretteを買収した。2006年、ウィンタートゥール・スイス保険をアクサAXAに売却し、不振となった保険事業から撤退。同年、グループ内の銀行部門を統合し、プライベートバンキング、投資銀行、アセット・マネジメント(資産管理)を業務の三本柱とした。2022年の総資産は5313億5800万スイス・フラン、営業損失72億9300万スイス・フラン、従業員数は5万0480人。

[三和裕美子 2024年1月18日]

経営危機

2023年3月、アメリカでシリコンバレー・バンクSilicon Valley Bankなどの中堅銀行の破綻(はたん)が相次いだことで、銀行セクターにおける信用不安が金融市場でくすぶっており、そのうねりが、かねてより経営不安が強まっていたクレディ・スイスに及び、預金流出や株価下落を引き起こした。同月15日、2022年に同社の増資を引き受け筆頭株主となっていたサウジ・ナショナル・バンクSaudi National Bankが、クレディ・スイスへの追加融資を否定したこともあり、同社の株価は暴落し、一時31%の下落となり過去最安値を更新した。これを受け、スイス金融市場監督機構(FINMA)は、事態の鎮静化を図るべく同社に対する流動性供給(中央銀行が金融機関に資金を供給すること)の可能性を表明したものの、株価の下落は継続した。

 金融不安の解消に向け、同月19日、スイス国立銀行とFINMAの後押しによって、スイス金融大手のUBSがクレディ・スイスを買収することが合意され、6月12日に買収が完了した。この買収プロセスでは、株式と債券の弁済順位が逆転するという異例の対応がとられた。通例、銀行が経営破綻した場合、弁済順位のもっとも低い株式から損失を吸収することになる。しかし、クレディ・スイスのケースでは、劣後債(普通債よりも弁済順位が低い債券)の一種である「AT1債」(Additional Tier1)について約160億スイス・フラン分の価値がゼロとなった一方で、株式は一定の損失はあるものの無価値とはならなかったのである。AT1債はバーゼル合意における中核的自己資本に組み入れることができることから、多くの銀行が発行している。また、普通債よりも高い利回りを見込めることから、資産運用会社をはじめとした多くの投資家が購入しているため、UBSによるクレディ・スイスの買収劇は、AT1債市場全体にも警戒感を招く結果となったといえる。

[三和裕美子 2024年1月18日]

日本での活動

日本では、1959年(昭和34)に第二次世界大戦後初の日本国債の海外起債において単独引受幹事を務め、内外で大きく注目された。1972年、ザ・ファースト・ボストン・コーポレーション東京駐在員事務所(現在のクレディ・スイス証券)を開設(東京支店の営業開始は1985年)。1977年クレジット・スイス(現在のクレディ・スイス銀行)東京支店が銀行免許を取得。2000年(平成12)には、グループにおける拠点としてクレディ・スイス・グループ日本駐在員事務所を設けた。2009年、日本においてプライベートバンキング業務を開始。2012年にはイギリス金融大手HSBCの日本におけるプライベートバンキング事業を買収し、大阪、名古屋にオフィスを開設。関西圏へのアプローチを強化した。2023年(令和5)、クレディ・スイス・グループがUBSグループに買収されたことで、クレディ・スイスは日本の商業登記簿より抹消されたが、クレディ・スイスの業務はUBSグループの子会社となったクレディ・スイス・グループの一つとして運営されている。なお同グループは、日本ではクレディ・スイス銀行東京支店およびクレディ・スイス証券株式会社が営業活動を行っている。

[三和裕美子 2024年1月18日]

『相沢幸悦著『アルフィナンツ金融革命』(1994・同文舘出版)』『T. R. FehrenbachThe Swiss Bank(1966, Mcgraw-Hill Book Company, New York)』『Beatrice Engstrom-Bondy, Claire MakinSwiss Banking in the 1990s(1991, IFR Publishing, London)』『〔WEB〕Credit Suisse Group AG : Annual Reports https://www.credit-suisse.com/about-us/en/reports-research/annual-reports.html(2024年1月閲覧)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内のクレディ・スイスの言及

【スイス銀行】より

…スイスの有力な商業銀行で,クレディ・スイスCrédit Suisse(1856創立,本店チューリヒ),スイス・ユニオン銀行Union Bank of Switzerland(1862創立,本店チューリヒ)とともにスイスの三大商業銀行といわれてきた。日本での登記名はスイス銀行コーポレイション。…

※「クレディ・スイス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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