日本大百科全書(ニッポニカ) 「クレディ・スイス」の意味・わかりやすい解説
クレディ・スイス
くれでぃすいす
Credit Suisse
スイスを拠点とし、50を超える国でグローバルな金融活動を展開するクレディ・スイス・グループの中核銀行。本社はチューリヒ。
歴史
資本主義の発達に伴い、産業革命の時期から近代的な銀行制度が発達してきたイギリス、フランス、オランダなどの諸外国に比べて、スイスにおける銀行制度の発達は遅く、19世紀のなかば以降のことであった。このころになるとヨーロッパの商業はアルプス周囲の鉄道を中心に行われるようになり、輸送手段としての鉄道の必要性が強く意識され、スイスの産業も鉄道なくしては存在しえない状況になった。鉄道は巨大な資本を必要とし、クレディ・スイス銀行はこのような需要にこたえるため、1856年アルフレッド・エッシャーAlfred Escher(1819―1882)によって設立された。1905年に最初の支店をバーゼルに開設、その後スイス国内の営業基盤を強化していった。
スイスの銀行が国際的金融活動に積極的になっていったのは第二次世界大戦後であるが、クレディ・スイスはすでに1940年に初めての海外支店をニューヨークに開設し、積極的な姿勢を示してきた。1978年には国際的な投資銀行業務を行うため、アメリカの投資銀行ファースト・ボストンThe First Boston Corp.と提携、1988年に同社を傘下においた。1989年グループ企業の持株会社としてクレディ・スイス・ホールディングが組織された。
このように国際的な業務に進出する一方で、国内基盤の整備にも力を注いでいった。1990年にはスイスでもっとも古い歴史をもつ銀行の一つであり、当時資産規模でスイス第5位のロイ銀行Bank Leuを買収。またその後、1990年代にスイス・フォルクス銀行Swiss Volksbankの買収、保険大手のスイス・リー社Swiss Re、ウィンタートゥール・グループWinterthur Groupとの提携などを通して、アルフィナンツAllfinanz(ヨーロッパ、とくにドイツ金融界でみられる業態であり、銀行が従来の業務を越えて生命保険業などの他分野に積極的に参入すること)の考え方を追求し、小口金融業務や保険業務にも営業活動を拡大していった。1996年クレディ・スイス・ホールディングからクレディ・スイス・グループに改組。1997年にウィンタートゥール・スイス保険と合併、1998年にはアメリカの投資銀行ドナルドソン・ラフキン・ジェンレットDonaldson, Lufkin & Jenretteを買収した。2006年、ウィンタートゥール・スイス保険をアクサに売却し、不振となった保険事業から撤退。同年、グループ内の銀行部門を統合し、プライベートバンキング、投資銀行、アセット・マネジメント(資産管理)を業務の三本柱とする。2011年の総資産は1兆0491億6500万スイスフラン、営業収益19億5300万スイスフラン、従業員数は4万9700人。
[三和裕美子]
日本での活動
日本においては、クレディ・スイス銀行東京支店のほか、クレディ・スイス・ファースト・ボストン証券会社(2006年よりクレディ・スイス証券株式会社)、クレディ・スイス投信が営業活動を行っている。クレディ・スイス・ファースト・ボストン証券会社東京支店は、クレディ・スイス・ファースト・ボストンの日本における拠点として、総合的な投資銀行業務を展開している。同社は1959年(昭和34)に第二次世界大戦後初の日本国債の海外起債において単独引受幹事を務め、内外で大きく注目された。2000年(平成12)には、グループにおける拠点としてクレディ・スイス・グループ日本駐在員事務所を設け、グループ全体としての日本市場への取り組みを強化している。
[三和裕美子]
『相沢幸悦著『アルフィナンツ金融革命』(1994・同文舘出版)』▽『T. R. FehrenbachThe Swiss Bank(1966, Mcgraw-Hill Book Company, New York)』▽『Beatrice Engstrom-Bondy, Claire MakinSwiss Banking in the 1990s(1991, IFR Publishing, London)』