クルプスカヤ(英語表記)Krupskaya, Nadezhda Konstantinovna

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「クルプスカヤ」の意味・わかりやすい解説

クルプスカヤ
Krupskaya, Nadezhda Konstantinovna

[生]1869.2.14. ペテルブルグ
[没]1939.2.27. モスクワ
ソ連の教育家,教育学者。レーニン夫人。ペテルブルグの古典中学校から高等女子学校に進み,約1年で退学。 1891年マルキストのサークルに参加,夜間労働者学校や日曜学校の教師をしながら革命運動に挺身し,94年頃レーニンと知合う。 96年逮捕され,98年,3年の流罪を宣告されたが,その刑期をレーニンとともにシベリアで過すことを許され,同年結婚。 1901年レーニンを追ってミュンヘンに亡命,レーニンの秘書ならびに党の機関紙の編集局書記として献身。二月革命で帰国し党書記として活躍。十月革命後は教育人民委員部に属して教育制度の樹立,識字運動,図書館などの文化センターの建設などに努力,特にピオネール運動の生みの親として「名誉ピオネール」の称号を受けた。レーニンの死後も,教育人民委員部次官 (文部次官) ,図書局長などの要職歴任,またソ同盟科学アカデミー名誉会員に推され (1931) ,教育学博士にもなる (36) 。主著国民教育民主主義』 Narodnoe obrazovanie i demokratiya (17) はマルクス主義教育学の古典的著作。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「クルプスカヤ」の解説

クルプスカヤ
Nadezhda Konstantinovna Krupskaia

1869~1939

レーニン夫人。ペテルブルクで労働者工作をしているとき,レーニンと知り合い,以後レーニン生涯の同志,伴侶となる。ロシア革命後は国民教育の面で活動。『レーニンの思い出』を残す。

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旺文社世界史事典 三訂版 「クルプスカヤ」の解説

クルプスカヤ
Nadezhda Konstantinova Krupskaya

1869〜1939
旧ソ連の教育家。レーニン夫人
21歳から革命運動に参加。追放地シベリアでレーニンと結婚し,十一月革命後は共産主義国家の教育理論・運動の指導者となった。主著『国民教育と民主主義』『レーニンの思い出』。

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367日誕生日大事典 「クルプスカヤ」の解説

クルプスカヤ

生年月日:1869年2月14日
ソ連の教育家,教育学者
1939年没

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