クリントン(George Clinton)(読み)くりんとん(英語表記)George Clinton

日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

クリントン(George Clinton)
くりんとん
George Clinton
(1940― )

アメリカのファンクミュージシャン。1970年代、ファンク・ミュージックの代名詞ともなった複数のグループを率いた。ノース・カロライナ州カナポリスに生まれ、ニュー・ジャージー州のプレーンフィールドで育つ。10代のころ黒人街で人気の床屋だったが、趣味で結成したコーラス・グループ、パーラメンツがしだいに本業へと変わっていった。

 パーラメンツは1967年に「(アイ・ワナ)テスティファイ」をポップ・チャート20位まで押し上げたが、そのあとが続かなかった。さらに所属するレコード会社とトラブルが起こり、グループ名の所有権を争って裁判にまで発展する。そこでクリントンは、同じメンバーによる別名バンド、ファンカデリックを結成、1960年代末のドラッグ・カルチャーやロック・カルチャーの要素をふんだんに盛り込んだサウンドを打ち出していった。1970年、旧名称の使用が認められると、今度は、ファンカデリックと変わらないメンバーを中心にパーラメントを結成、ここに多くのミュージシャンがいくつものバンド名を使いながら入り乱れるという、クリントンならではの「演劇空間」がスタートすることになった(のちに、クリントンがつくったバンドを総称する「Pファンク」という言葉もできた)。

 クリントン傘下のミュージシャンとして、音楽監督的な立場をになったのがキーボード奏者のバーニー・ウォレルBernie Worrell(1944―2016)だった。1972年にはジェームズ・ブラウンのバックマンとして鳴らしたベーシスト、ブーツィ・コリンズBootsy Collins(1951― )もチームに加わり、パーラメント/ファンカデリックは、ロマンチックなコーラス・グループの要素からジミ・ヘンドリックス直系のサイケデリックで豪放なギター・サウンドまで、すべてを混沌とさせた構成で、若い黒人を中心に熱狂的なファンを獲得していった。舞台も奇抜で、ファンカデリックがベトナム戦争をイメージした戦闘服で登場したかと思えば、パーラメントは巨大な宇宙船をあしらい、謎の悪者ドクター・ファンケンシュタインが地球人(というよりも黒人)に襲いかかるといった、アメリカ社会の暗部を皮肉と笑いでちゃかした構成も話題となった。

 1970年代、クリーンなイメージで世界的なバンドとなったアース・ウインド&ファイアーとクリントン一派は、ファンクというダンス・リズムを基調としながらも対照的な位置にあった。この時期のパーラメントの代表的アルバムとしては『マザーシップ・コネクション』(1976)、『ファンケンテレキー vs. プレイスボ・シンドローム』(1977)などがあるほか、ファンカデリックには『ハードコア・ジョリーズ』(1975)、『ワン・ネイション・アンダー・ア・グルーヴ』(1978)などのヒット作がある。

 1980年、パーラメントはレコード会社との不和がもとで再びバンド名の所有権が問題となる。そこでクリントンは、Pファンクの主体であるパーラメントとファンカデリックの活動をやめ、ソロ・ミュージシャンとして新たに活動を始める。1982年の『コンピュータ・ゲームズ』がそのスタートだった(前年の1981年からは、Pファンク・オールスターズも結成している)。その後、1970年代ほどの人気はなくなったものの、新世代のロックやヒップ・ホップ(ラップ)のアーティストによって往年のファンク・ミュージックが再評価され、クリントンは特に敬意を払われる一人となった。

 2001年1月、フロリダ州タラハシーの地方裁判所は、クリントンが黄金時代の自作品から利益を得る権利を失っているとの判断を下した。彼が失ったのは、1976年から1983年までに書いた音楽著作物に関する権利で、このなかには先述の『ワン・ネイション…』『コンピュータ・ゲームズ』など歴史的な作品が多数含まれている。クリントンは、1960年代から21世紀に至るまで、ずっと音楽業界との契約問題で悩まされてきたミュージシャンでもある。

[藤田 正]

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