クライバー(英語表記)Kleiber, Carlos

百科事典マイペディア 「クライバー」の意味・わかりやすい解説

クライバー

指揮者。ドイツの大指揮者エーリヒ・クライバーの息子としてベルリンに生まれる。ナチスを嫌った父とともに幼年期にドイツを離れ,ブエノス・アイレスで成長。名前をカールからカルロスに改める。ドイツ帰国後の1954年にポツダムで指揮者としてデビューし,1957年デュッセルドルフのライン歌劇場の指揮者に就任。以後,ドイツ,オーストリアその他の歌劇場で名声を高めた。特定の歌劇場やオーケストラに属さず,稀にタクトをとる公演は常にセンセーショナルな話題を呼んだ。世界的名声を得て以来レパートリーはごく限定されており,ウェーバー,ワーグナー,ベルディ,プッチーニ,R.シュトラウスなどのオペラ,モーツァルト,ベートーベン,シューベルト,ブラームスの交響曲など。1974年にバイエルン国立歌劇場の指揮者として初来日。→リヒテル
→関連項目ウォツェック近衛秀麿ベルク

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「クライバー」の意味・わかりやすい解説

クライバー
Kleiber, Carlos

[生]1930.7.3. ドイツ,ベルリン
[没]2004.7.13. スロベニア,リュブリャナ
指揮者。20世紀後半を代表する巨匠。名指揮者エーリヒ・クライバーの息子。第2次世界大戦中に一家でアルゼンチンに移住,戦後の 1952年に家族とヨーロッパに戻り,のちオーストリアに国籍を移す。スイス連邦工科大学で化学を学んだのち指揮者に転向。1954年ポツダムの劇場でオペレッタを指揮してヨーロッパ・デビューを果たす。チューリヒ歌劇場などの指揮者を歴任し,1960年代前半から頭角を現す。1968年にバイエルン州立歌劇場の指揮者となり,その後,ウィーン国立歌劇場,コベントガーデン王立歌劇場,バイロイト音楽祭(→バイロイト祝祭劇場),スカラ座にデビュー。シカゴ交響楽団ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団などに客演した。並はずれた完璧主義者で,みずから共感するごく少数のレパートリーしか指揮をしなかった。1999年イタリアでのバイエルン放送交響楽団の指揮が最後の演奏会となった。

クライバー
Kleiber, Erich

[生]1890.8.5. ウィーン
[没]1956.1.27. チューリヒ
オーストリア生れの指揮者。プラハ学び,1912~22年ドイツ各地の歌劇場を指揮,23年ベルリン国立歌劇場の音楽監督となる。 35年ナチスの政策に反対して辞任,ドイツを去り,アルゼンチンの市民権を得る。 54~55年再びベルリン・オペラを指揮。古典から現代まで広いレパートリーをもち,作曲家の意図に忠実なことで知られた。

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