ギリシア正教会
ぎりしあせいきょうかい
Greek Orthodox Church
ロシア正教会とともに、東方正教会の中核をなす教会。日本では、正教そのものをギリシア正教ということもある。1832年にギリシアがトルコから独立したのち、コンスタンティノープル総主教管下にあったギリシアの正教会は、1850年独立教会となった。こうして、ギリシアは正教を国教とする国となった。現在ギリシアには78の府主教区があり(ギリシアでは大主教が府主教の上)、初代教会機構の形態をそのまま受け継いでいる。ギリシア正教会には国民の約98%、約1028万人の信徒がいる(1996)。ビザンティン時代に建てられた教会や修道院が数多くあり、ギリシア人の生活の中心となっている。小学校の教科書には、復活祭(イースター)や降誕祭(クリスマス)の祝いが出ていて正教意識を植え付け、また若者に対する布教、伝道も盛んである。ギリシア国立のアテネ、テッサロニキ両大学には聖職者養成機関の神学部があり、ギリシア正教神学を教えている。なお、アトス山はギリシアの国の中で、「修道共和国」として特別区となっており、アトス山にある各修道院の代表による聖務院が最高機関である。
[田口貞夫]
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ギリシア正教会
ギリシアせいきょうかい
Greek Orthodox Church
1054年にローマ−カトリック教会から分離し,コンスタンティノープル(現イスタンブル)の総主教を中心に東方に発展したキリスト教会。東方正教会ともいう
726年のビザンツ皇帝レオン3世による聖像禁止令をきっかけに,ローマとコンスタンティノープルの両本山は絶縁の方向にむかい,1054年正式に分離した。カトリックと違い教皇のような存在はなく,それぞれの教会が自治をもち独立している。伝統的にビザンツ皇帝が首長をかね,伝承主義,儀礼を重んずるギリシア的主知主義が特色。その教会建築ではモザイク画が有名。またイコン(聖像画)信仰が強い。バルカンからロシアのスラヴ民族の地域に伝わり,ビザンツ帝国滅亡(1453)後,ロシア皇帝が首長をかねた。
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「ギリシア正教会」の意味・わかりやすい解説
ギリシア正教会【ギリシアせいきょうかい】
東方正教会の代表的教派。英語でGreek Orthodox Church。正教会の総称として用いられることもあるが,1822年以降コンスタンティノープル総主教座から離れており,ギリシアを管轄する独立教会とするのが正確。アテネ大主教を首長とし,ギリシア国民の95%以上が同教会に属する。
→関連項目マカリオス[3世]
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ギリシア‐せいきょうかい ‥セイケウクヮイ【ギリシア正教会】
〘名〙 東ローマ帝国時代からの伝統を受け継ぐキリスト教の一宗派。東地中海世界の教会から一〇五四年に分離。ギリシア・ロシア・西アジア・東ヨーロッパなどに伝わる。神学と
礼拝とに神秘主義的性格を持つ。ロシアをはじめ、
ルーマニア、
ブルガリア、ギリシアなどに
信者が多い。東方正教会。ギリシア教。
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ギリシアせいきょうかい【ギリシア正教会 Greek Orthodox Church】
東方正教会のなかでギリシアを管轄地域とする独立教会。ギリシアには使徒の時代にキリスト教が伝わった。ちなみにパウロの第2回宣教旅行は小アジアからギリシア北部のフィリッピ,テッサロニケを経て,アテナイとコリントスに及んだ。しかし使徒時代以降のキリスト教布教の状況はほとんど知られていない。教会管轄に関して,ギリシアはローマ教皇の管轄下にあったが,8世紀中葉,イコノクラスムの時代にコンスタンティノープル総主教の管轄に移された。
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