キレナイカ(英語表記)Cyrenaica

翻訳|Cyrenaica

精選版 日本国語大辞典 「キレナイカ」の意味・読み・例文・類語

キレナイカ

(Cyrenaica) アフリカ北部、リビア北東部の地方。地中海に面する。中心都市ベンガジ大部分リビア砂漠が占め、内陸部に世界有数の油田がある。

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デジタル大辞泉 「キレナイカ」の意味・読み・例文・類語

キレナイカ(Cyrenaica)

アフリカ北部、リビアの東半部を占める地方。中心都市ベンガジサヌーシー教団本拠地。名称は古代ギリシャの植民都市キュレネに由来する。セレイナイカ

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改訂新版 世界大百科事典 「キレナイカ」の意味・わかりやすい解説

キレナイカ
Cyrenaica

リビア東部,地中海とエジプトスーダンチャドの国境に接する地域をさし,今日ではリビアのベンガジ州にあたる。アラビア語ではバルカBarqa。州都はベンガジ。従来この地域は,沿岸の一部農業地帯以外大半が砂漠で占められ,牧畜業以外産業はなかったが,1960年代の南部の石油開発が,この地域をリビア経済の重要地域に変えた。

 キレナイカは,古代ギリシアの植民地時代以来,多くの異民族支配下に置かれてきたが,それは沿岸地域に限られており,サハラ砂漠の内陸部とはアフリカ奥地に通じるキャラバン・ルートで結びついていたにすぎない。リビア領土の画定自体が西欧列強のアフリカ分割という近代の所産であり,内陸部を含めた今日のキレナイカという単位も,1934年のイタリアの一括支配の結果である。

 他方,19世紀半ばサハラ東部で始まったイスラム改革運動であるサヌーシー教団の運動は,オアシス伝いに広範な地域の民衆を組織した。リビアのオスマン帝国支配下からイタリア植民地化への移行が決定した1912年,教団の中核イドリース家はキレナイカを一円的に支配し,20年にわたり当地域はイタリアの侵入を阻止し,リビア民族の解放区の様相を呈した。キレナイカは,69年リビア革命への道すじで,サヌーシー教徒あるいはリビア民族として民衆が結束する拠点でもあった。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「キレナイカ」の意味・わかりやすい解説

キレナイカ
きれないか
Cyrenaica

北アフリカ、リビアの東部地方3県を総称する地域。面積約85万平方キロメートル。地理的には、ジャバル・アフダル(緑の山)とよばれる地中海沿岸の高地地方、シルテ湾岸の低地地方、内陸の南部地方の3地域に分けられる。キレナイカの先住民はベルベル人であるが、紀元前7世紀にギリシア人が現在のベンガジほかの植民市を建設し、前1世紀にローマの支配下に入った。紀元後641年アラブ人が征服し、住民のアラブ化、イスラム化が進んだが、エジプトとトリポリタニアの対抗勢力の影響下にあって、オスマン帝国期も含めてキレナイカには安定した自立政権ができなかった。しかしサヌーシー教団の本拠地であり、1912年のイタリア侵攻への抵抗運動のなかで、後の国王ムハンマド・イドリースが政権を掌握する根拠地となった。1951年の独立後、トリポリタニア、フェザンとともにリビア連合王国を構成する3州の一つとなったが、63年の連邦制廃止とともに三つの県(ベンガジ、ジャバル・アフダル、デルナ)に分けられた。ジャバル・アフダルを除けば雨量が乏しいために粗放な農耕と牧畜に依存しており、石油資金を投じて都市や道路の建設が行われたものの、トリポリタニアに比べて開発が立ち後れている。面積では国土の半分を占めるが、人口は4分の1強を占めるにすぎない。ベンガジ、デルナ、ベイダなどの都市がある。

[宮治一雄]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「キレナイカ」の意味・わかりやすい解説

キレナイカ
Cyrenaica

アラビア語ではバルカ Barqah。リビア北東部の歴史上の地方名。前 630年頃ギリシア人がこの地方北部にエウヘスペリデス (バンガージ) ,バルケ (マルジ) ,キュレネ (シャーハート) ,アポロニア (スーサ) ,テンキラ (トゥークラー) の5植民都市を建てたことから,ペンタポリスと呼ばれた。前 67年キレナイカとしてクレタ島とともにローマの属州に編入され,642年アラブに征服された。中世後期にはエジプトの諸王朝に支配され,15世紀以後はオスマン帝国の名目上の宗主権に属した。 1911~12年のイタリア=トルコ (オスマン帝国) 戦争の結果,トリポリタニアとともにイタリアに割譲され,5万のイタリア農民が入植した。第2次世界大戦中は激戦場となり,42年イギリスが占領してイタリア植民は追放された。戦後もイギリスの占領が継続,ようやく 51年リビア連合王国を形成する自治州の一つとして独立,63年リビア王国となるとともに廃された。中心都市バンガージー。

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百科事典マイペディア 「キレナイカ」の意味・わかりやすい解説

キレナイカ

北アフリカ,リビア東部の地方。アラビア語ではバルカ。大部分はリビア砂漠であるが,地中海岸の平野とオアシス地帯で農牧業が行われる。19世紀半ば,イスラム神秘主義のサヌーシー教団の拠点となり,20世紀に入るとイタリア支配に対するリビア人の抵抗の中核となった。1950年代末,米国資本によってリビア砂漠地帯にゼルテン油田などが発見され,その開発が急速に進んだ。中心はベンガジ
→関連項目キュレネリビア

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「キレナイカ」の解説

キレナイカ
Cyrenaica

北アフリカ,リビアの東部地域で現在のリビアの一州。古代,ギリシア人が建設し,のちローマの一州となり,7世紀頃アラブ人に征服された。16世紀以後オスマン帝国の支配下に入る。サヌーシー教団の本拠地。イタリア‐トルコ戦争後イタリア領となり,第二次世界大戦では英独軍の激戦が行われた。

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旺文社世界史事典 三訂版 「キレナイカ」の解説

キレナイカ
Cyrenaica

イタリア−トルコ戦争によってイタリアが獲得した,現在リビア東部のベンガジを中心とする地域
海岸地帯は古代ギリシア人によって植民市が建設されるなど,その歴史は古い。内陸部を含めたこの地域の呼称は,1911年に始まったイタリア−トルコ戦争で,トリポリとともにイタリアの支配を受けてから一般化した。リビアという名称はこの両地域の古名である。

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世界大百科事典(旧版)内のキレナイカの言及

【キュレネ】より

…前7世紀の末,飢饉に襲われたテラ(サントリニ)島住民の一部がバットスBattosを植民指導者としてこの沃地に入植(前4世紀に再録された植民決議の碑文がキュレネのアゴラから出土している),バットス一門の王政は前5世紀半ばまで続いた。その後,プトレマイオス王朝の支配を経て,前74年にローマの属州キレナイカとなる。キレナイカ【馬場 恵二】。…

【リビア】より

…リビア人の大半が今ではアラブ系住民であるが,西部のガダミスやガットにいるトゥアレグ族や,トリポリタニア海岸平野の定住農民の一部のベルベル語と独自の生活習慣を守る人びとは純粋のベルベルである。またフェッザーンやキレナイカ南部には,かつてオアシス農業の奴隷として中央サハラから連れてこられ定着したトゥーブ人などの黒人住民もいる。非アラブ住民としてはほかにも,ユダヤ人(レコンキスタ期にスペインを脱出してきた,いわゆる東洋系ユダヤ人)や大挙して入植したイタリア人らもいたが,今では大半がリビアを去っている。…

※「キレナイカ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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