キュリー(スクワドフスカ)(読み)キュリースクワドフスカ

化学辞典 第2版 の解説

キュリー(スクワドフスカ)
キュリースクワドフスカ
Curie, Marie(Maria Skłodowska)

ポーランド出身のフランスの化学者,物理学者.1891年,姉を頼ってパリに渡る.ソルボンヌ大学で物理学(1893年)と数学(1894年)の学士号(licence)を取得.1895年パリの物理学者P. Curie(キュリー)と結婚.1896年物理学の教授資格試験に合格すると,学位論文のテーマに,同年フランスのA.H. Becquerel(ベクレル)が発見したウランから発するX線に似た“光線(ベクレル線)”を選び,夫Pierreとその兄Jacqueの開発した微弱な電流を検出する象限電気計を利用して,ベクレル線の強度(彼女は1898年に放射能radioactivitéと名づけた)を測定しながら,ウラン元素とその化合物の調査を進めた.その結果,ピッチブレンド(歴青ウラン鉱)が,含有ウラン量から計量されるより数倍の放射能を示したので,この鉱物にウランよりもはるかに強力な放射能をもつ未知の元素の存在を想定した.夫妻は協力して研究し(1897~1902年),1898年7月にポロニウムを,同年11月にラジウムを発見した.オーストリア政府から提供されたピッチブレンドの残さい数tを処理,1902年,10分の1 g の純度の高い塩化ラジウムの単離に成功した.1903年学位論文“ラジウム塩-放射性物質”として提出し,パリ大学から理学博士の学位を取得.この年の12月,BecquerelとともにCurie夫妻は,放射能の研究でノーベル物理学賞を受賞.1906年4月19日,乗り合い馬車にひかれてPierreが死去すると,彼女は二人の事業を一人で継続し,1910年金属ラジウムの単離に成功した.1911年1月の科学アカデミー会員選挙落選や,11月の物理学者P. Langevinとの恋愛スキャンダルを乗り越えて,同年12月ノーベル化学賞を単独で受賞.第一次世界大戦がぼっ発すると,軍部衛生隊や野戦病院などで放射線診断などに活躍した.晩年は放射線障害に悩まされ,骨髄性白血病で死去.長女I. Joliot-Curie(ジョリオ-キュリー)は,1935年ノーベル化学賞を受賞.次女Eveは,世界中でよく読まれた母の伝記“キュリー夫人伝”(1938年)を書いた.

出典 森北出版「化学辞典(第2版)」化学辞典 第2版について 情報

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