キャプテン・ビーフハート(読み)きゃぷてんびーふはーと(英語表記)Captain Beefheart

日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

キャプテン・ビーフハート
きゃぷてんびーふはーと
Captain Beefheart
(1941―2010)

アメリカのロック・ミュージシャン、画家。本名ドン・ブリートDon Vliet(後年ドン・バン・ブリートDon Van Vlietと改名)。不協和音やノイズによるアンサンブル、狼の遠吠えのような歌が特徴。ポップ・ミュージックの定型を激しく逸脱しながらも、しかし結果的にかつてなかったような豊潤で含蓄のある音楽を作り出した。1980年代初頭に音楽活動から完全に引退し、以後画家として活動したことも、彼の名をいっそう神話的なものとした。

 ロサンゼルス郊外のグレンデールで、中産階級家庭の一人息子として生まれた。祖父について3歳からハーモニカを吹き始めたが、同時に絵や彫刻に強い興味を示し、5歳から数年間、彫刻家に師事した。12歳のときには地元のTV番組で彫刻のパフォーマンスを披露するほどになり、イタリアへの長期留学も決まるが、両親の反対でとりやめになった。1956年、ロサンゼルス北東部モハービ砂漠の町ランカスターに家族と引越したブリートは、地元の高校でフランク・ザッパと知り合い、彼が率いていたリズム・アンド・ブルースバンド、ブラックアウツに加入、音楽活動をスタートさせる。いったんは地元の大学の芸術コースに入るがすぐにドロップアウトし、ザッパとともにザ・スーツを結成、デモ・テープを作りレコード会社にもち込んだりした。ブリートがキャプテン・ビーフハートと名乗り出したのは、このザッパとの交流の初期(1950年代後半~1960年代初頭)といわれる。また、この時期、ザッパとともにブルースやリズム・アンド・ブルース、ドゥーワップなどのレコードを大量に聴きあさったことは、キャプテン・ビーフハートの音楽の根幹形成に大きく寄与した。

 1964年、ザッパはロサンゼルスに移って新たにザ・マザーズを結成。一方のキャプテン・ビーフハートも初めてのリーダー・バンド、キャプテン・ビーフハート&ヒズ・マジック・バンドを結成。当初のメンバーは、キャプテン・ビーフハート(ボーカル、ハーモニカ、サックスギター)、アレックス・セント・クレアAlex St. Claire(1941―2006、ギター)、ダグ・ムーンDoug Moon(ギター)、ジェリー・ハンドリーJerry Handley(ベース)、ポール・ブレークリーPaul Blakely(ドラム)。1966年、この陣容でA&Mからボ・ディドリーBo Diddley(1928―2008)のカバー曲「ディディ・ワー・ディディ」など2枚のシングルを発表。続いて、ギターのライ・クーダーや、その後長くマジック・バンドを支えるジョン・フレンチJohn French(通称ドランボDrumbo、ドラム)などの新メンバーを加え、1967年にブッダからファースト・アルバム『セイフ・アズ・ミルク』を発表。キャプテン・ビーフハートの音楽のもっとも重要な骨格であるデルタ・ブルース(ミシシッピ川とヤズー川に挟まれたデルタ地帯で古くから盛んに歌われたブルース)とオーネット・コールマンからの影響が顕著なフリー・ジャズの過激な融合が、すでにここでかなり達成されていた。

 続いてジェフ・コットンJeff Cotton(通称アンテナ・ジミー・シーメンスAntennae Jimmy Semens、ギター)をメンバーに加えての1968年のレコーディングセッションをもとに『ストリクトリー・パーソナル』と『ミラー・マン』(リリースはともに1971)が制作された。さらに1969年には、盟友ザッパのプロデュースで2枚組アルバム『トラウト・マスク・レプリカ』を発表。ビル・ハークルロードBill Harkleroad(1949― 、通称ズート・ホーン・ロロZoot Horn Rollo、ギター、フルートほか)、マーク・ボストンMark Boston(通称ロケット・モートンRockette Morton、ベース)、ビクター・ヘイデンVictor Hayden(通称マスカラ・スネークMascara Snake、バス・クラリネット)といった素人同然の新メンバーを加え、半年以上の合宿生活によるリハーサルを続け、ほとんどワン・テイクで録音されたこの大作は、まともなハーモニーやビートはただの一つもなく、ノイズだらけだが、実は微細なずれまで完璧に計算されたもので、すべての演奏がキャプテン・ビーフハートの指示通りに行われた。未曽有(みぞう)の音響彫刻作品として、多くのリスナーに衝撃を与え続け、アバンギャルド・ロックの最高傑作という評価を不動のものとしている。

 翌1970年に出た次作『リック・マイ・デカルズ・オフ、ベイビー』もそれに並ぶ傑作である。続くリプリーズからの2作『スポットライト・キッド』『クリア・スポット』(ともに1972)、そしてマーキュリーからの2作『アンコンディショナリー・ギャランティード』『ブルー・ジーンズ・アンド・ムーンビームズ』(ともに1974)と作品を経るにしたがって中途半端なポップさが目だち、それまでのテンションと実験性が減少してゆくが、1975年にザッパ&マザーズの全米ツアーのゲスト・シンガーとして参加し、ザッパとの共同名義によるライブ・アルバム『ボンゴ・フューリー』を発表したあたりから復調。ジェフ・モリス・テッパーJeff Morris Tepper(ギター)ほかの新メンバーでマジック・バンドを再編、新作を録音。それは『バット・チェーン・プラー』というタイトルでリリースされる予定だったが、原盤保有の権利関係のトラブルのため、そのままお蔵入りとなった。そこでの楽曲は、1978年の『シャイニー・ビースト』、1980年の『美は乱調にあり』、1982年の『アイスクリーム・フォー・クロー』のなかで部分的に再録音されて収録されたが、オリジナル版も2002年ライブ音源のボーナス・トラックを追加して『ダスト・サッカー』というタイトルで発表された。

 『アイスクリーム・フォー・クロー』発表後、キャプテン・ビーフハートは音楽活動からの引退を宣言し、画業に専念。その作品はしばしば、アメリカやヨーロッパでの展覧会で公表された。またフレンチやテッパーなど、優れたソロ・アルバムを発表しているマジック・バンド歴代のメンバーも少なくない。

[松山晋也]

『マイルス著、浜野アキオ訳『フリーク・アウト――フランク・ザッパの生活と意見』(1994・ブルース・インターアクションズ)』

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