キャパ
ハンガリー出身の写真家。本名フリードマン・アンドレイFriedmann Andrei。ブダペスト生れ。1931年ドイツに亡命後,ベルリンでフォト・ジャーナリズムを学び,写真エージェンシーで働く。ユダヤ系であったためにナチ政権成立後はパリに逃れる。1936年,スペイン内乱を取材撮影し,《ライフ》誌に掲載された写真《人民戦線兵士の死》は,一躍キャパを有名にした。以降,フリーのフォト・ジャーナリストとして,日中戦争,連合軍のノルマンディー上陸作戦などを兵士と共に行動して撮影。1947年,カルティエ・ブレッソン,デビッド・シーモアらとともに写真通信社〈マグナム・フォトス〉を創設。第2次大戦後の仕事には,ピカソの日常生活を撮影したシリーズもある。1954年の来日時にインドシナ戦争が勃発し,《ライフ》誌の派遣で戦線に向かったが,取材中に地雷に触れて爆死。近年スペイン内乱を写した代表的な作品が,キャパ本人のものではなく,パートナーだったゲルダ・タローの作品(ゲルダは37年にスペインで死亡)であることが,日本のノンフィクション作家沢木耕太郎などにより明らかにされ,話題となった。自伝《ちょっとピンぼけ》(1947年)がある。
→関連項目ビショフ
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キャパ
きゃぱ
Robert Capa
(1913―1954)
戦争写真で世界的に名が知られた報道写真家。ハンガリーのブダペストにユダヤ人洋服屋の息子として生まれる。本名アンドレ・フリードマン。青年期にベルリンで学業のかたわら写真を学んだ。1933年にナチの迫害を逃れてパリに移り、36年スペイン動乱勃発(ぼっぱつ)と同時に人民戦線側の報道写真家として従軍するが、そのときコルドバで撮った「敵弾に倒れる義勇兵」が『ライフ』に載り、世の注目を集めるようになる。第二次世界大戦では連合国側の雑誌特派員となり、イギリスを皮切りにヨーロッパ戦線、北アフリカ戦線に従軍し、最前線の様相を数多く撮影した。なかでも44年6月に連合軍が敢行したノルマンディー上陸作戦のドキュメントは、その迫真力により報道写真の古典的名作として今日も評価が高い。また47年にはカルチエ・ブレッソンやデビッド・シーモアDavid Seymour(1911―56)らとともに「マグナム・フォトス」をおこすが、54年メコン・デルタで取材中に地雷に触れて爆死した。
[平木 収]
『川添浩史・井上清一訳『ちょっとピンぼけ』(文春文庫)』
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キャパ
Capa, Robert
[生]1913. ブダペスト
[没]1954.5.25. ベトナム,タイビン
報道写真家。本名はアンドレイ・フリードマン Andrei Friedmann。ホルティの独裁政権によるユダヤ人追放政策を逃れ,17歳で生地のハンガリーからベルリンに移住。そこで写真術を学ぶが,ヒトラーの台頭によりさらにパリに逃れた。 1936年スペイン戦争が起こると人民戦線派のカメラマンとして従軍。戦争写真家として名を知られるようになる。 1940年にはアメリカに移住。第2次世界大戦でも,北アフリカ,フランス,ドイツへ従軍,特に連合軍のノルマンディー上陸作戦に取材した一連の報道写真は有名。戦後は 1947年に H.カルティエ=ブレッソン,D.シーモアらと,写真家集団マグナム・フォトス Magnum Photosを創立した。 1954年5月ディエンビエンフーの陥落が迫ったインドシナ戦線におもむき,地雷にふれて死んだ。写真集『戦争──そのイメージ』 Images of War (1964) のほか,自伝『ちょっとピンぼけ』 Slightly Out of Focusがあり,邦訳されている。
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キャパ
(Robert Capa ロバート━) ハンガリー生まれの報道写真家。写真通信社マグナム設立者の一人。スペイン内乱、第二次大戦の北アフリカ戦線ほか多くの戦争を取材。インドシナ戦争で地雷にふれて爆死。(一九一三‐五四)
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デジタル大辞泉
「キャパ」の意味・読み・例文・類語
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キャパ【Robert Capa】
1913‐54
ハンガリー生れの写真家。ブダペスト出身。本名Friedmann André。初めジャーナリストを志すが,言葉を越えて自分の主張を伝えられるのは写真だと考えるようになる。ベルリンで写真を勉強したのち,1933年同国人の写真家ケルテスAndré Kertészをたよってパリに出る。36年パリの新聞社の入社試験を受けるが落第し,近くのカフェで酒を飲んでいるときに,同様に落第したカルティエ・ブレッソン,D.シーモアと出会い,個性的で自由な写真活動ができる写真通信社をつくることを約束しあう。
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世界大百科事典内のキャパの言及
【マグナム】より
…写真家自身による国際的な協同写真通信社。1936年,パリのある新聞社のカメラマン募集試験に落ちたR.キャパが近くのカフェで酒を飲んでいると,同様に落ちたH.カルティエ・ブレッソンとシーモアDavid Seymour(1911‐56)がそこにやってきた。このときワインの大瓶(マグナム)を飲みながら,主義や流派を越えて写真家の自由な表現と立場を保証するような通信社をつくろうと話しあった。…
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