キプリアヌス(読み)きぷりあぬす(英語表記)Caecilius Cyprianus

日本大百科全書(ニッポニカ) 「キプリアヌス」の意味・わかりやすい解説

キプリアヌス
きぷりあぬす
Caecilius Cyprianus
(190ころ―258)

古代キリスト教会のラテン教父。カルタゴの司教。初めは異教徒であったが、246年ごろキリスト教に改宗して司祭になり、248年司教に選出された。250年デキウス帝のキリスト教徒迫害の際、カルタゴ近郊に身を隠し、書簡によって教会を指導した。迫害中に多数のキリスト者が棄教し、これは、復帰後彼の対処すべき多くの問題を引き起こした。彼はラテン教父テルトゥリアヌスを師と仰ぎ、その厳格主義的な立場によって、とりわけ異端者の洗礼の有効性に関して、教皇ステファヌス1世Stephanus Ⅰ(在位254~257)とも対立した。257年バレリアヌス帝Valerianus(在位253~260)の新たな迫害のとき、異教礼拝を拒んで追放され、1年後カルタゴに連れ戻され、斬首(ざんしゅ)刑をもって殉教した。

[百瀬文晃 2017年11月17日]

『アダルベール・アマン著、家入敏光訳『教父たち――生涯と作品入門』(1972・エンデルレ書店)』

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改訂新版 世界大百科事典 「キプリアヌス」の意味・わかりやすい解説

キプリアヌス
Thascius Caecilius Cyprianus
生没年:200ころ-258

西方教会の教父として重要な人物。修辞学者であったが,246年ころキリスト教に回心し,249年カルタゴの司教となる。デキウス帝時代の激しい迫害に抗して教会の保持に努めたが,次のウァレリアヌス帝による迫害の中で殉教した。迫害の際に逃亡してのちに教会に戻った者を受け入れてよいかどうかが問題となったとき,キプリアヌスは一定の悔い改めを課してこれを認め,そのことでローマと対立した。《カトリック教会の統一》(251執筆)によれば,真の教会は正典,教理,典礼,聖職者組織を持つ見える教会であり,それは恩恵の機関であるので,〈教会の外に救いはない〉と言われる。ローマ教皇ペテロを継承するというが,人間ペテロは教会統一のしるしであって担い手ではなく,担い手はむしろ教会の法的組織自体にあるというのが彼の考えである。しかし教会は法的であると同時に霊的でなければならず,これはキリストの犠牲の反復としての聖餐の中に確保される,と考えた。彼はこうして教会の公同性と聖性を強く自覚した人としてカトリック教会の中で尊ばれ,後代彼の名を付した多くの偽書がある。
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キプリアヌス

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世界大百科事典(旧版)内のキプリアヌスの言及

【キリスト教】より

…1世紀の終りにローマのクレメンスは,監督・長老職を教会における権威として立てたが,これはパウロ的伝統の延長とみなされる。また3世紀のテルトゥリアヌスは,赦罪に関する倫理的法の体系を立てたほか,ローマにおけるペテロ伝承に従ってローマ教皇の首位権を主張し,のちにカルタゴの司教キプリアヌスがこれを固定化した。教皇カリストゥス1世Callistus I(在位217‐222)がローマとビザンティンの政治的対立を和らげようとしたのに対し,キプリアヌスはローマ教会の優位にもとづく教会の一致こそ第一のものだとして,普遍的教会(エクレシア・カトリケekklēsia katholikē)の理念を示した。…

【キリスト教文学】より

…3世紀に激成された帝国の不安は4世紀にはいちじるしく進行して地方の分立が目だち,教義上の文献もラテン語によるのが通例となった。多くの教義的な著作を残したカルタゴの司教キプリアヌス,護教家として知られるミヌキウス・フェリクスMinucius Felix(3世紀初めころ),《神の教え》7巻のほか,殉教者列伝など多くの著述をもち,〈キリスト教のキケロ〉と呼ばれたラクタンティウスらは,この時代に属する。しかも以上の4人とも属州アフリカの出身であるのは注目に値する。…

【ラテン文学】より

…ミヌキウス・フェリクスMinucius Felixの対話編《オクタウィウス》は,現存する最古のラテン語によるキリスト教の文献であるが,すでに古典の教養との妥協が図られている。キリスト教未公認時代最大のキリスト教ラテン作家はテルトゥリアヌスであったが,後世に与えた影響はキプリアヌスの方が大きかった。313年のキリスト教公認を境に,4世紀から5世紀にかけて,《マタイによる福音書》を叙事詩にしたユウェンクスJuvencus,雄弁家ラクタンティウス,賛美歌作者で人文主義に反対した神秘主義者アンブロシウス,古代最大のキリスト教ラテン詩人プルデンティウスとその後継者ノラのパウリヌスなどが活躍したが,古代最大の2人のキリスト教作家も続いて現れた。…

※「キプリアヌス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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