ガービー(英語表記)Garvie, Alfred Ernest

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ガービー」の意味・わかりやすい解説

ガービー
Garvie, Alfred Ernest

[生]1861.8.29. ジラールドゥーフ
[没]1948.3.7.
イギリスの神学者。教会指導者。ロシア領ポーランドに生れ,ポーランドで初等教育を受けたのち,エディンバラジョージワシントングラスゴーの各大学などで哲学,神学を学び,会衆派教会牧師となる。のちにロンドンのハクネー大学およびニューカレッジの教授となり,有神論哲学,比較宗教学,キリスト教倫理学などを講じ,1933年名誉学長となった。教会一致運動 (→エキュメニズム ) に尽し,イギリス会衆派教会議長 (1919) ,イギリス教会協議会 NCC議長,スイスローザンヌで開かれた第1回の信仰職制会議の議長代理 (27) ,イギリス自由教会連盟議長 (28) などをつとめ,教会指導者としても大きな足跡を残した。リッチュルの流れをくむ穏健な神学的な立場を取り,ウェストミンスター新約聖書注解シリーズの編集者でもあった。主著"The Ethics of Temperance" (1895) ,"The Ritchlian Theology" (99) ,"Commentary on Romans" (1901) ,"The Purpose of God in Christ" (19) ,"Revelation through History and Experience" (34) ,"The Christian Faith" (36) 。

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改訂新版 世界大百科事典 「ガービー」の意味・わかりやすい解説

ガービー
Marcus Moziah Garvey
生没年:1887-1940

ジャマイカ生れの黒人運動指導者。1914年万国黒人改善協会(UNIA)を創設,16年渡米し,ニューヨークハーレム根拠地に大規模な黒人大衆運動を展開した。白人社会への同化を拒否し,黒人の自立主張,20年代前半に〈アフリカへの帰還〉運動を組織したが,リベリア政府の背信により挫折。27年アメリカから追放され,ロンドンで客死したが,広く欧米,アフリカ世界の黒人に人種的誇りと向上への希望を植えつけた功績は大きい。
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百科事典マイペディア 「ガービー」の意味・わかりやすい解説

ガービー

ジャマイカ出身の黒人運動指導者。1914年万国黒人改善協会(UNIA)を創設,1916年渡米して黒人の自立を訴え,1920年代に〈アフリカ帰還運動〉を推進した。運動の挫折後は米国から追放されたが,黒人解放運動に及ぼした影響は少なくない。
→関連項目カリブ海

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