日本大百科全書(ニッポニカ) の解説
ガンディー(Indira Gandhi)
がんでぃー
Indira Gandhi
(1917―1984)
インドの政治家。インド共和国初代首相ネルーのひとり娘としてアラハバードに生まれる。生地のほか、イギリス、スイスで教育を受け、インドのシャンティニケタン、イギリスのオックスフォード両大学に学ぶ。この間12歳のときに反英運動に参加したが、1942年の「インドを立ち去れ(クイット・インディア)」運動での投獄により本格的政治運動に入る。逮捕直前フェローズ・ガンディー(のち下院議員、1960年死去)と結婚、その後ラジブ(1944年生まれ、1984年首相就任、在任中の1991年暗殺された)、サンジャイ(1946年生まれ、1980年飛行機事故で死亡)の2子をもうける。
独立後、ネルー首相のホステス役として政治経験を蓄え、1955年国民会議派運営委員就任。1959年には同議長としてケララ州共産党政権の解任にかかわる。1964年シャストリ内閣の情報相となり、1966年1月、シャストリ首相急死により、首相就任。1967年総選挙での後退ののち、急進的姿勢を強め、大統領選挙を直接のきっかけにして党の分裂を強行した。1971年12月の対パキスタン戦争勝利(バングラデシュの独立)で名声は頂点に達したが、その後のインフレ、食糧危機、政治腐敗への野党などの批判を非常事態宣言(1975年6月)で抑えた。1977年3月の総選挙では非常事態への国民の反発により敗北を喫したが、ジャナタ党政権の失政に乗じて1980年1月政権に復帰した。この政権のもとで、中央集権制が強化され、州の自治権拡大を求める野党との対立が鋭くなった。なかでも北西部パンジャーブ州の自治権要求をめぐってガンディー政権とシク教徒の対立が激化、1984年6月シク教徒の分離主義者排除のためにシク教総本山ゴールデン・テンプル(黄金寺院)に軍隊を導入したことがシク教徒の反発を招き、同年10月31日護衛のシク教徒警官により暗殺された。
[佐藤 宏]