ガマ

デジタル大辞泉 「ガマ」の意味・読み・例文・類語

ガマ(Gama)

バスコ=ダ=ガマ

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改訂新版 世界大百科事典 「ガマ」の意味・わかりやすい解説

ガマ (蝦蟇)

ヒキガエルの俗称。〈びっき〉などの異名があり,日中物陰にいて夕方に現れ昆虫蠕虫(ぜんちゆう)類を舌を出してとらえるが,すばやいため虫が自然に口中に引き込まれるように見え,〈ひき〉の名が出たらしい。日本の人家の庭でふつうに見られるニホンヒキガエルBufo bufo japonicusなどヒキガエル類は,一般にガマと呼ばれ親しまれる。〈ガマの油売〉で知られる筑波山の〈四六のガマ〉をはじめ,望みのものを引き寄せる縁起のよい動物として置物にされたり,芝居では児雷也の変身に利用されたりする。ヒキガエル類には眼の後方に耳腺が発達し,分泌される乳白色の液には毒成分があって,かみついた犬が苦しんだり,いたずらした人間の目に入って角膜炎を起こさせたりする。動作緩慢でありながら蛇,猫,イタチなどに襲われても撃退するため,不思議な能力をもつものとして〈がま仙人〉などの名も現れた。これらのことから,この動物を魔性ありとして近世ことに種々の怪異談が伝えられている。ガマ毒の成分は明治のころから研究され現在では化学構造も判明している。ブフォタリン,ブファギン,シノファギン,ガマブフォゲンなどを含むいわゆるブフォトキシンbufotoxinで,主として心筋や迷走神経中枢に作用する。この心筋収縮の作用からガマ毒は強心剤として用いられ,中国では古くから〈蟾酥せんそ)〉と称して,漢方薬六神丸の材料とされ,蘇州の〈雷久上(レイチユウシヤン)〉が本舗とされてきた。現在,日本に輸入されている蟾酥はかなり高価なものである。
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ガマ (蒲)
(common)cat-tail
Typha latifolia L.

湿地の浅い水底から直立するガマ科の多年草で,高さ約2mになる。根茎は泥の中を横にはい,ここから直立茎を出す。葉は線形で長さ1~2m,幅1~2cmで無毛。6~8月に茎頂に穂状花序をつける。花序の上部は雄花群で,この部分は細い。各雄花は3本のおしべだけからなり,花柄基部に長い毛がある。花粉は4個が癒合している。花序の下部は雌花群で,上部よりも太く,直径1.5~2cmになる。雌花はただ1個の心皮からなり,花柄には長い毛がある。花柱は長く伸び,柱頭は茶色である。雌花群の表面にはこの柱頭が密集している。分布は広く,北半球の温帯~熱帯からオーストラリアまである。ガマの花粉を蒲黄(ほおう)といい,乾燥したものを止血剤として用いた。〈因幡の白兎〉の民話で,赤裸のウサギがガマの穂にくるまったのも,この止血作用を利用したものであろう。また葉や茎は敷物や籠,すだれを編むのに用い,若芽は食用にされた。その葉で編んだ円座(ほたん)やむしろから,それぞれ蒲団(ふとん),蒲簀(かます)(叺)などの名が起こり,またガマの穂綿(ほわた)に硫黄や硝石を混ぜて,火打の火をとるための〈ほくち〉が作られた。竹輪蒲鉾(ちくわかまぼこ)や蒲焼(昔はウナギの胴を開かず丸ごと串(くし)に刺して焼いた)の名はその穂の形による。

 ヒメガマT.angustifolia L.はガマに似て,雄花群と雌花群の間に花のつかない裸出した軸の部分がある。
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ガマ
Vasco da Gama
生没年:1469-1524

ポルトガル航海者。下級貴族の子としてポルトガル南部のシネスで生まれた。前半生のことはほとんどわからない。1497年インドに向かうポルトガル船隊の司令官となり,喜望峰を経由して翌年カリカットに到達した。1502年にもふたたび司令官となってインドに赴いた。その後24年になって歴代総督の失政を改革するためにインドに派遣されたが,その直後に病死した。したがって彼はもっぱらインド航路の開拓者として記憶されている。
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百科事典マイペディア 「ガマ」の意味・わかりやすい解説

ガマ

ポルトガルの航海者,インド航路開拓者。1497年7月,4隻の船隊を指揮してリスボンを出発,喜望峰を回り,1498年5月インドのカリカット(コジコーデ)に到着した。1502年―1503年には第2次の航海を行う。のちインド総督として派遣されるが,その直後病死。
→関連項目カブラルカモンイスカリカット紀行文学大航海時代ポルトガルマヌエル[1世]リスボンリンポポ[川]

ガマ

ヒキガエル

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ガマ」の意味・わかりやすい解説

ガマ
Gama, José Basílio da

[生]1740. ミナスジェライス,チラデンテス
[没]1795. リスボン
ブラジルの詩人。リオデジャネイロのイエズス会の学校で学んだが,1759年ポルトガルの宰相ポンバル侯によるイエズス会追放の際,ポルトガルで逮捕され,アンゴラに追放された。南アメリカの先住民教化村をめぐるスペイン=ポルトガル間の戦いを描いた叙事詩『ウルグアイ』O Uruguai (1769) はその名を不朽にした。

ガマ

ヒキガエル」のページをご覧ください。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ガマ」の解説

ガマ

ヴァスコ・ダ・ガマ

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旺文社世界史事典 三訂版 「ガマ」の解説

ガマ

ヴァスコ=ダ=ガマ

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世界大百科事典(旧版)内のガマの言及

【アフリカ探検】より

…ポルトガルに希望を与える岬という意味である。V.daガマが国王のその期待にこたえた。彼は97年7月8日にリスボンを出港し,喜望峰をまわってインド洋をわたり,98年5月20日インドのカリカットに着いた。…

【イブン・マージド】より

…これらの著書は,いわばインド洋を舞台として数千年にわたって活躍してきたアラブ・ペルシア系航海民のもつ航海知識を精練し集大成したものであって,その高度な航海技術と精緻で詳細な地理的知識には驚くべきものがある。彼は1498年,バスコ・ダ・ガマの率いるポルトガル艦隊を東アフリカのマリンディからインドのカリカットまで案内したといわれるが,その事実は不明である。【家島 彦一】。…

【カリカット】より

…8世紀以来アラブ商人の進出によりインド洋交易が活発となるとともに,インド西海岸の重要港市として栄えた。1487年にはポルトガル人ペロ・デ・コビリャンPero de Covihamが来航し,98年には喜望峰回りでバスコ・ダ・ガマが東アフリカから乗せたヒンドゥー教徒を水先案内人として来航した。彼の上陸地点は北方約25kmのカッパードで,記念碑が建てられている。…

【大航海時代】より

…それによってベルデ岬の西370レグア(約2040km)の線を境界とし,その西側で発見された土地はスペインの,その東側で発見された土地はポルトガルの領土とすることとされた。ポルトガルでは97年マヌエル王の指揮下にバスコ・ダ・ガマの船隊が編成され,インドに派遣された。ガマの船隊は98年にインドのカリカットに到着し,99年にコショウを積んで帰国した。…

【モセルバーイ】より

…南からの風波を避けるのに好適な港として,また幾つかの美しい海水浴場のある保養地として知られる。1488年にバルトロメウ・ディアスが初めて立ち寄り,97年にはバスコ・ダ・ガマが寄港,1500年にはペドロ・ダタイデが嵐を避けて上陸した。このように南部アフリカにおいてポルトガル人航海者が最初に上陸した港として,歴史的に重要な町である。…

【ガマの油売】より

…ガマの油を原料とする軟膏を大道で売る香具師(やし)の一種。この軟膏は,外傷やひび,あかぎれ,やけどなどの治療に効果があるといわれ,軍中膏として用いられた。…

【強心薬】より

…上記の主要植物以外では,スズラン,セイヨウキョウチクトウ,フクジュソウ,オモトなどにも含まれる。配糖体ではないが,ガマの皮膚腺分泌物から得られるブホタリン,ブホトキシンなども強心ステロイドである。現在では数多くの強心配糖体の化学構造が明らかにされているが,共通した構造はアグリコンまたはゲニンと呼ばれるステロイド構造部分に糖が結合した形である。…

【心臓薬】より

…またこれらの糖がとれた形のゲニンも強心作用を示す。ガマ皮膚腺分泌物にもブホタリン,ブホトキシンなどの強心ステロイドが含まれる。そのほか,カテコールアミン類(アドレナリンやノルアドレナリン)やキサンチン誘導体(カフェインやテオフィリン)なども強心作用を有する。…

【ニホンヒキガエル】より

…ヒキガエル科の大型ガエル(イラスト)。通称ガマ(蝦蟇)。北海道,本州,四国,九州に分布し,近畿地方以北の個体群は,亜種のアズマヒキガエルB.j.formosusに区別される。…

【ヒキガエル(蟇∥蟾蜍)】より

…そして,危険に出会うと四肢を突っ張り頭を下にして,耳腺を敵の鼻先に突き出す。耳腺から分泌される毒液は一般にガマ毒あるいはブフォトキシンと呼ばれ,ブフォタリンなど数種の成分が含まれる。動物の口腔,粘膜に付着すると,炎症を起こし心筋や神経中枢に作用して敵を弱らせる。…

※「ガマ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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