日本大百科全書(ニッポニカ) の解説
カーン(Chaka Khan)
かーん
Chaka Khan
(1953― )
アメリカにおける1970年代以降の代表的なボーカリスト。本名イベット・マリー・スティーブンズYvette Marie Stevens。イリノイ州グレート・レークに生まれ、シカゴの黒人街で育つ。
11歳で最初のグループ、クリスタレッツを結成して、数多くのステージに立つ。そのなかには1960年代のソウル・ミュージック・スター、メリー・ウェルズMary Wells(1943―92)とのツアーや、ライフ、ベビーシッターズなどのグループへの参加もあったが、どれも成功とまではいかなかった。最初の転機はシカゴのダンス・バンド、ルーファスにリード・ボーカリストとして参加したことで、エネルギッシュで伸びやかな声で一躍全米で注目されるようになった。
カーンがルーファスに加わった70年代初頭は、同じシカゴ出身のアース・ウインド&ファイアーに代表されるように、ソウル・ミュージックのミュージシャンがプロとしてバンドを結成し活動することが珍しくなくなってきた時期だった。新しい時流のなかでも女性が中央に立って歌い踊るバンドは、旧世代のティナ・ターナーがリードを取るアイク&ティナ・ターナーを除けば珍しく、また音楽も最新流行の「ファンク」を基本としていたことから、カーンは新しい時代を象徴する黒人女性シンガーとして大きな関心を集めたのである。
さらにカーンは、ステージ名をアフリカ系のシャーマンから付けてもらったことでもわかるように、10代から黒人解放運動や汎アフリカニズムに目覚めた女性でもあった。力強い彼女の歌声には、黒人であり、女性であるという主張が込められており、そのような姿勢によってカーンは、60年代から70年代前半にかけて女性ソウル・シンガーの筆頭にあったアレサ・フランクリンの次の時代を担う人物として期待された。
ルーファスとして「テル・ミー・サムシング・グッド」(1974)、「スウィート・シング」(1976)といったヒットを出した後、1978年独立。その後「アイム・エブリ・ウーマン」(1978)、「アイ・フィール・フォー・ユー」(1984)などの代表作を発表するが、ジャズ・アルバム『エコーズ・オブ・アン・エラ』(1982)でも高い評価を得た。
一時期、麻薬に溺れ活動が危ぶまれたこともあったが、その後はミュージシャンとしての活動のかたわら、HIV感染者や家庭内暴力に苦しむ女性たちをサポートする慈善団体を主宰している。
[藤田 正]