カール(12世)(読み)かーる(英語表記)Karl Ⅻ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「カール(12世)」の意味・わかりやすい解説

カール(12世)
かーる
Karl Ⅻ
(1682―1718)

スウェーデン王(在位1697~1718)。カール11世(1655―1697、在位1660~1697)の息子。1697年即位、まもなく親政を開始した。1700年北方戦争が始まると、自ら軍を率いてまずデンマークを下し、さらにナルバにおいてロシア軍を撃破。続いてポーランドに侵入し、1706年までにポーランド、ザクセン制圧。1707年ロシア侵攻を開始したが、1708年補給困難のためウクライナに転じ、1709年ポルタバにおいて大敗、トルコに亡命した。トルコ宮廷を動かしロシアと開戦させたが、1712年ロシア・トルコ両国の講和を不満とし、追放され1715年帰国。帰国後、ロシア、デンマーク、プロイセンなどの攻撃により窮地にあったスウェーデンを救うため、軍を再建する一方、ロシアとの単独講和を企てる。1718年ノルウェーに侵入し、フレデリクスハル要塞(ようさい)を攻囲中に戦死。子供はなく、妹のウルリカ・エレオノラUlrika Eleonora(1688―1741、在位1718~1720)とその婿のヘッセン地方伯フレドリク(フレデリック1世Fredrik Ⅰ。1676―1751、在位1720~1751)が後を継いだ。治世大半戦陣にあり、通称を「兵隊王」という。

[本間晴樹 2022年9月21日]

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旺文社世界史事典 三訂版 「カール(12世)」の解説

カール(12世)
Karl Ⅻ

1682〜1718
スウェーデン王(在位1697〜1718)
王の年少に乗じ,ロシア・ポーランド・デンマークの3国がスウェーデンの分割をはかったのに対し,北方戦争を展開した。戦局優位のまま長駆してウクライナに侵入したが,1709年ポルタヴァの戦いで大敗してコンスタンティノープルに亡命。帰国後,ノルウェー遠征中戦死した。これ以後,スウェーデンはバルト海覇権を失い,大国地位をおりた。

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