日本大百科全書(ニッポニカ) の解説
カルノー(Lazare Nicolas Marguerite Carnot)
かるのー
Lazare Nicolas Marguerite Carnot
(1753―1823)
フランス革命時代の将軍、政治家。ブルゴーニュのノレに生まれる。通称「大カルノー」。王の軍隊に入り、1783年に技術将校となる。上官に対する誣告(ぶこく)罪で投獄された(1789)が、革命の開幕により釈放。政治活動に加わり、理性的な愛国者として共和主義を信奉。1792年9月国民公会の議員に選ばれた。ルイ16世の処刑に賛成の票を入れる。1793年8月、軍事担当官として公安委員会のメンバーに選ばれた。10月、公安委員会が革命政府の名を帯びるにつれ、そのまま恐怖政治下の独裁機構に参画し続ける。革命政府の中核をなすロベスピエール、サン・ジュスト、クートンとは一線を画し、ひたすら軍務に精励。軍需工業を拡充し、軍隊の装備を全面的に改良して、革命戦争の「勝利の組織者」の名を受けたが、作戦面でしばしばサン・ジュストと対立し、革命政府の末期には粛清の対象となりかねない孤立状態にあった。そのためテルミドール(熱月)の反動後も、軍の実力者として国民から敬慕され、ブルジョア共和主義の総裁政府下にも大臣の要職についた(1795~1797)。1799年ナポレオンの統領政府が成立するや、旧友のシエイエスに促され、軍の長老の身で陸相に就任(1800)。自由主義の立場からナポレオンの独裁には不服を感じつつも、1815年の百日政権下にふたたび内相として協力。祖国の苦難に最後まであたる決意を表した。ワーテルローの敗戦後も徹底抗戦を主張したが、いれられず退陣した。1823年8月2日没。
[金澤 誠]