カリカチュア(英語表記)caricature

翻訳|caricature

デジタル大辞泉 「カリカチュア」の意味・読み・例文・類語

カリカチュア(caricature)

特徴を大げさに強調して描いた風刺画。戯画。カリカチュール。文章や芝居での風刺的な表現にもいう。
[補説]語源はイタリア語のcaricaturaで、荷の積み過ぎ、誇張の意。
[類語]戯画

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精選版 日本国語大辞典 「カリカチュア」の意味・読み・例文・類語

カリカチュア

〘名〙 (caricature) 特徴を誇大に表現して、滑稽さをもたせた肖像等の絵。風刺画。戯画。漫画。ポンチ絵。また、比喩的に風刺的な表現一般をいう。カリカチュール。
※三四郎(1908)〈夏目漱石〉七「里見と野々宮さんの妹のカリカチュアーを描(か)いて遣らう」

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改訂新版 世界大百科事典 「カリカチュア」の意味・わかりやすい解説

カリカチュア
caricature

対象の特徴を鮮明に示すために誇張・省略された形,あるいは本来の意味から逸脱して利用された形をもつ絵画(まれに彫刻)。戯画,漫画,場合によっては風刺画と呼ばれる。諧謔(かいぎやく)や風刺を目的とする点で,表現主義芸術や図式化・単純化された形,あるいは信仰や神話に関連する人獣合体した異様な姿などとは区別される。しかし,この区別は絶対的なものではない。また風刺自体は広義の社会性をもつものが多く,滑稽もまた慣習,風俗によって大いに異なる。それゆえ,社会的な基盤の変化によって風刺・諧謔も無効あるいは逆となる場合も多い。〈カリカチュア〉という語は,イタリア語の動詞caricare(荷を負わす,誇張する)に由来する。1646年にイタリアで肖像画についてカリカトゥーラcaricaturaという語が用いられ,また81年イタリアの美術史家バルディヌッチFilippo Baldinucci(1625-96)の《絵画用語事典Vocabolario toscano dell'arte del disegno》に用いられて定着した。日本では,明治時代のポンチ絵,それ以前は明確でないが,戯画,漫画,狂画嗚鳴呼絵(おこえ),鳥羽絵,ざれ絵などがこれにあてはまることがある。

古代オリエントの,とくにエジプト絵画に滑稽さと風刺を狙った怪物や誇張表現が現れるが,同様のものは古代ギリシアの黒絵式壺にも描かれ,また喜劇,笑劇をまねたモザイクなどもヘレニズム・ローマ芸術に伝えられる。これらはアレクサンドリアのヘレニズム文学の影響もあるが,矮人,せむし,人獣合体像などはつねにこのジャンルが好む対象であって,絵画だけでなくテラコッタや小銅像にもつくられた。中世では,最後の審判の地獄図における悪魔の類,動物寓話(有名なのは《狐物語》)の動物,中世末の〈死の勝利〉〈死の舞踏〉における死,あるいは写本細密画の装飾部分にみられる動植物と文様が混合した怪物,教会内陣のミゼリコルディアの彫刻など多くの例に,笑いを含んだ民衆レベルでの写実性と風刺的想像力を総合したカリカチュアの基本的性格が認められる。これらは15世紀のションガウアー《聖アントニウスの誘惑》や,1500年前後に制作されたH.ボスの芸術の中で盛大に開花する。このようなゴシック的装飾文様の系統には,ドイツのC.ヤムニッツアーの銅版画,F.デプレの木版画があるが,ボスの伝統を新しい思想的土壌に受け継いだのはブリューゲル(父)であった。16世紀のドイツ,フランドルではゴシック的形態の伝統と新しく流入したイタリア・ルネサンスとの様式上の矛盾がかえって形態におもしろいゆがみを生じさせた。ホファーDaniel Hopfer(1470ころ-1536)がその典型である。また,L.クラーナハにも先鋭な反カトリック的作品があるように,旧教・新教両派の争いは風刺版画によっても闘われたのである。イタリアではレオナルド・ダ・ビンチの人相学的・性格学的探求があり,Q.マセイスなど北方への影響もうかがえる。マニエリストのアルチンボルドは果物や魚など,物の集積によって顔を構成し,ブラチェリGiovanni-Battista Bracelliも一種の人造人間を描いた版画集をつくって,ルネサンス的人間観とは異なる人間の物質化を暗示している。またその多様化は矮人,道化,乞食を誇張して版画化したJ.カロにも現れる。

 17世紀初めにはアンニバレ・カラッチおよびボローニャ派の画家,彫刻家ベルニーニらが人物の性格や表情の特徴を強調した素描を残す。オランダでは風俗のコミカルな誇張をみせるC.ドゥサルト,時事問題を風刺的に描くR.deホーヘがおり,18世紀ローマには滑稽な肖像を描くP.L.ゲッツィがいる。イギリスではW.ホガースが教訓的・風刺的作品をしばしば数枚の組物語絵に描き,またそれを版画にして大衆化を考えた。T.ローランドソンはフランス的な艶雅さを風俗風刺に加え,J.ギルレーイギリス王室やナポレオン体制などを激越に批判し,ホガースの伝統を深めた。同時代のスペインでは政治・社会の旧弊を,あるいはナポレオン戦争をそれぞれ80枚組みの版画として,多面的に痛烈に風刺したゴヤが現れた。フランスではロココ的なデュビュクールLouis Philibert Dubucourt(1755-1832),革命期にはJ.L.ダビッドも戯画を描き,人相学的なボアリーLouis Leopold Boilly(1761-1845)の〈しかめ面〉のシリーズは評判を呼んだ。

 19世紀の印刷技術の躍進に伴ってジャーナリズムも発達し,もともと版画と関係の深かったカリカチュアも,新聞,雑誌などを舞台として広い影響を及ぼす。19世紀の前半ではフランスの《カリカチュールLa Caricature》(1830),《シャリバリ》(1832),イギリスの《パンチ》(1841),ミュンヘンの《フリーゲンデ・ブレッターFliegende Blätter》(1845),イタリアの《フィスキエットIl Fischietto》(1848)などの雑誌が発刊され,世紀末にはフランスの《リールLe Rire》(1894),《アシエット・オー・ブールAssiette au Beurre》(1901),ドイツの《ジンプリチシムス》(1894)などが重要な戯画の専門誌で,社会や政治への過激な,あるいは洗練された風刺やユーモアのある挿絵を載せた。19世紀中期にフランスで活躍した作家はグランビル,トラビエス,ガバルニ,H.モニエ,ジル,ドーミエらで,国王ルイ・フィリップは洋梨に記号化されて辛辣な風刺の的とされた。七月革命以後,政治風刺が禁じられてからは風俗戯画が盛んになり,また古典文学の挿絵にドレの名も逸しがたい。イギリスではクルックシャンク,C.キーン,G.デュ・モーリア,ドイルRichard Doyle(1824-83),ドイツではW.ブッシュ,スイスではR.テッファーらが風俗描写やナンセンスな笑いで世紀前半あるいは中葉に活躍した。さらに世紀末になるとフランスにはスタンラン,フォランJean-Louis Forain(1852-1931),カラン・ダーシュCaran d'Ache(1859-1909),エルマン・ポール,C.レアンドル,A.ロビダ,ドイツではグルブランソンOlaf Gulbransson(1873-1958),ハイネThomas Theodor Heine(1867-1948),パウルBruno Paul(1874-1968),クビーン,ベルギーではロップス,アンソールなど多士済々である。ほかに文学者のユゴー,E.リア,彫刻家のJ.G.シャドー,画家のピュビス・ド・シャバンヌ,ロートレックなども戯画を残した。私的な表現として多くの人がこの種のものを試みているのである。20世紀の表現主義,キュビスムダダイスムシュルレアリスムあるいは写真など,つぎつぎに生起する美術運動の新しい様式も戯画に取り入れられ,表現の豊かさに奉仕し,きわめて数多い戯画家が活躍する。ここでも専門の戯画家だけでなく多くの美術家が戯画的作品を描き,しばしば絵画表現と戯画との境界は重なり合うものとなっている。
風刺 →風刺画
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「カリカチュア」の意味・わかりやすい解説

カリカチュア
かりかちゅあ
caricature

風刺画、戯画、漫画などと訳されるが、それが含む意味は多様で、その作品の帯びる性質による。本来の意味は、イタリア語のcaricatura、すなわち「誇張されたもの」「歪曲(わいきょく)されたもの」であり、風刺画あるいは戯画の意味合いを強くもつ。したがって、単純な漫画は含まれない。

 人間には生来、不合理なものや不可解なものに耐えられず、批判しようとする精神があり、それを一種の笑いとして表現する場合にカリカチュアが生まれる。それはかならずしも対象を直接的に攻撃する形をとらないこともあり、比喩(ひゆ)や寓意(ぐうい)を借りることも少なくない。その場合でも、特定の対象が設定されていることがカリカチュアの要件である。無対象の笑いは、どれほど痛快であってもカリカチュアとはいえない。カリカチュアということばは、広く文学や思想の領域でも用いられ、ラブレーの『ガルガンチュワ‐パンタグリュエル物語』やセルバンテスの『ドン・キホーテ』はその種の傑作といわれている。

 美術の分野では、古くから一つの絵画形式として存在しており、エジプトの石片やパピルスに描かれた動物画に先例が求められる。中世に、免罪符を売るカトリック教会の偽善性を暴露した戯画が流布されたのは、カリカチュアの実例と考えることができる。

 ルネサンス期になると、ピサネッロやレオナルド・ダ・ビンチが人文主義的思想に立脚した戯画を描き、また、北欧の画家たち、デューラー、ホルバイン、ボス、ブリューゲルらにより具象的な作例が現れて、近代的なカリカチュアの祖型が形づくられた。この流れが発展したところに、カロ、ピラネージ、ホガース、ローランドソン、ゴヤらの優れた作品が生まれた。19世紀に入ると、新聞の普及によって、ドーミエやポール・ガバルニのようなカリカチュアに専念する画家が現れて、分野はいっそう広がり、ピカソ、グロッス、アンソール、オットー・ディックスらを代表とする現代における隆盛の基盤をつくった。

 日本でも鎌倉期の『鳥獣人物戯画』をはじめとして、江戸時代には鳥羽絵(とばえ)、そして葛飾北斎(かつしかほくさい)、歌川国芳(くによし)、渡辺崋山(かざん)などの諸作品を生み、カリカチュア史上、相当な位置を占めている。とくに北斎の『北斎漫画』の国際的評価は最高である。

[瀬木慎一]

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百科事典マイペディア 「カリカチュア」の意味・わかりやすい解説

カリカチュア

誇張的表現による社会風刺,寓意(ぐうい),滑稽(こっけい)などを目的として描かれた画像の総称。古代エジプトの擬人化した鳥獣画などを起源とするが,特に17世紀以降,版画技術や印刷術の普及に伴って広く行われ,政治的にも利用されるようになった。ジャック・カロゴヤドーミエ,ホガースらがその鋭い風刺で有名。→戯画
→関連項目バーレスク風俗の歴史ポンチ絵漫画

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「カリカチュア」の意味・わかりやすい解説

カリカチュア
caricature

風刺,寓意,ユーモアを内容とする絵画,記述などの総称,もしくはその表現手法。特に絵画をさすことが多い。語源はイタリア語の caricaturaで「誇張されたもの」「ゆがめられたもの」の意。皮肉,嘲笑,寓意などを誇張して表現する。起源は古く,古代エジプトのパピルスに擬人化された鳥獣画があり,ギリシア時代には風刺画家パウソンの名が伝わる。西洋では中世から近世にいたり,P.ブリューゲル,H.ボッシュ,H.ホルバインなどのすぐれた画家が寓意的作品を描いた。近代ではイギリスの W.ホガース,スペインの F.ゴヤ,フランスの H.ドーミエらが出て,近代美術の新たなジャンルをなすにいたった。日本では,古くは平安末期~鎌倉初期の『鳥獣人物戯画』,明治期に活躍した小林清親の戯画的な浮世絵などが著名。

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世界大百科事典(旧版)内のカリカチュアの言及

【カラッチ一族】より

…彼はまた同じ頃,秩序づけられ詩的雰囲気を与えられた理想的風景画のタイプをつくり出し,この面でもプッサンとC.ロランに先行している。アンニバレの芸術は,死後彼を偶像化したアカデミズムによって理想主義的側面のみを強調されることになったが,初期には写実的な風俗画も手がけており,また意図的に歪曲された肖像であるカリカチュアというジャンルはその名称とともに彼の創案になるという。アゴスティノの様式はアンニバレに近く,ファルネーゼ宮殿の装飾では弟に協力しているが,その本領はむしろ銅版画制作と教師としての活動に発揮された。…

【風刺画】より

…画家がその対象(特定個人,職業,階級,社会の風習,政治的事件,著名な物語や寓話など)を風刺するために,意図的に誇張,逸脱したり,グロテスク化することなく,むしろ客観的に観察し,リアルに表現した作品。一般にはカリカチュア(対象の特徴や欠陥を極端にゆがめて嘲笑する戯画)と同義に解されがちだが,厳密にいうと風刺画にはカリカチュアの手法が用いられる場合とそうでない場合とがある。ここでは後者の作例について述べ,前者については〈カリカチュア〉の項目を参照されたい。…

※「カリカチュア」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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