カラバッジョ

精選版 日本国語大辞典 「カラバッジョ」の意味・読み・例文・類語

カラバッジョ

(Michelangelo Merisi da Caravaggio ミケランジェロ=メリジ=ダ━) イタリアの画家。無頼の生涯を送り、非業の死を遂げた。写実主義を追究、鋭く明暗が対立する画風で一七世紀バロック様式を準備した。(一五七三‐一六一〇

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デジタル大辞泉 「カラバッジョ」の意味・読み・例文・類語

カラバッジョ(Michelangelo Merisi da Caravaggio)

[1573~1610]イタリアの画家。徹底した自然主義と劇的な明暗効果を特色とし、バロック絵画全般に大きな影響を与えた。連作「聖マタイ伝」など。→聖マタイと天使聖マタイの殉教聖マタイの召命

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百科事典マイペディア 「カラバッジョ」の意味・わかりやすい解説

カラバッジョ

イタリア・バロックの代表的画家。北イタリアのカラバッジョの生れ。本名ミケランジェロ・メリジ・ダ・カラバッジョMichelangelo Merisi da Caravaggio。若いころローマで名声を博したが,激しい性格のゆえに争いを起こし,各地を放浪。コントラストの強い明暗法と力強い写実描写は〈カラバッジェスキ〉と呼ばれる様式となり,イタリア絵画のみならず,アルプス以北の諸国にも広まり,バロック様式の国際的伝播の端緒となった。ルーベンスレンブラントベラスケスらにも影響を与えている。代表作に《キリストの埋葬》(1602年―1604年,バチカン美術館蔵)や《聖母の死》(1606年,ルーブル美術館蔵)などの祭壇画の他に,イタリア初の独立した静物画《果物籠》(1596年,ミラノ,アンブロジアーナ絵画館蔵),《聖マタイの召命》(1598年―1601年ころ),《バッコス》(1595年ころ,ウフィツィ美術館蔵)などがある。
→関連項目エルスハイマーグエルチーノジャーマンスルバランピアツェッタブーエヨルダーンスラ・トゥールリベラレーニ

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改訂新版 世界大百科事典 「カラバッジョ」の意味・わかりやすい解説

カラバッジョ
Caravaggio
生没年:1571-1610

イタリアの画家。本名ミケランジェロ・メリシ(アメリギ)Michelangelo Merisi(Amerighi)。初期バロック様式の創始者。ミラノ近くの町カラバッジョの建築家の長男として生まれ,1584年から88年までミラノの画家ペテルツァーノSimone Peterzanoのもとで修業。90年ころローマに行き,リアリスティックな静物画,風俗画で名声を得た。99年から1602年にかけて宗教画の最初の大作《マタイ伝》連作を描き,革新的な主題解釈,強烈な明暗効果,迫真のリアリズムによって,後期マニエリスムに衝撃を与えた。さらに《パウロの改宗》(1600-01),《キリストの埋葬》(1602-04),《聖母の死》(1605)などを手がけ,初期バロックのリアリズム様式を確立した。同じころ,アンニバレ・カラッチカラッチ一族)とボローニャ派は初期バロックの古典主義流派を形成して,ローマ画壇を二分した。06年友人を殺害し,ナポリ,シチリアマルタを流浪,各地に作品を残して39歳で没す。彼の芸術の特質は,空間を闇に包み,物体の一部のみに光を当てて,迫真的な現実感を出す視覚的リアリズムである。これは観念(イデア)の表現を主眼とするマニエリスムのアンチ・テーゼであったため,通常カラバッジョとその流派がマニエリスムを終結させたと考えられている。当時反宗教改革期にあったカトリック教会は,直接に民衆の感情に訴える新しい宗教芸術を求めていたこともあって,彼の芸術ははじめ教会の支持を得て広範な影響力をもった。第2の特質は,主題解釈において歴史的叙述を避け,人物の心理に肉薄する半身像のクローズアップ手法を考案したことである。これは,個人的・内面的心理表現に向かう近代絵画のイディオムとして,レンブラント,J.deリベラ,ルーベンス,ベラスケスら,17世紀の西欧各国の画家に決定的影響を与えた。しかし,聖なる人物を市井の人間と同列のレベルに見るその精神は体制的な宗教芸術に不適当なものと見なされるようになり,カトリック国ではA.カラッチ,ベルニーニらの芸術が正統と見なされるようになったため,彼の芸術の価値はおとしめられ,20世紀になってようやく復権を見た。今日ではミケランジェロ,ティントレットに比肩する最大の宗教画家とみなされている。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「カラバッジョ」の意味・わかりやすい解説

カラバッジョ
からばっじょ
Caravaggio
(1571―1610)

イタリアの画家。正式名はミケランジェロ・メリジMichelangelo Merisiで、北イタリアのベルガモ近郊カラバッジョ生まれのため、この通称でよばれる。ミラノで修業し、1592~93年ごろローマに出た。彼の初期の代表作は1599~1602年にローマのサン・ルイジ・ディ・フランチェージ聖堂のコンタレッリ礼拝堂に描いた『聖マテオの召命』『聖マテオの殉教』で、これらの作品によって彼の名声は一挙に高められた。その斬新(ざんしん)な画風はローマの美術界を驚倒させたばかりでなく、絵画の世界に一種の革命をもたらすものであった。その要因をなすのは光の扱い方と写実描写であるが、ほとんど暗黒ともいえる陰影部が強い人工的な光と極端なコントラストをなし、輪郭細部の抑揚が弱められている反面、背景がほとんど黒色で塗りつぶされているため、もろもろの形像の造形効果が強められている。そして背景や装飾物のような主題の表現に必要不可欠でないものは、すべて画面から排除されている。しかも写実表現に徹すべく、彼は宗教的な場面のなかに、ごく平凡な粗野にすらみえるような人物たちを描き込むのである。そのためもあり、彼が最初にこの聖堂に描いた『聖マテオと天使』(現存せず)は教会の権威者たちから拒否されたという。これらと前後して2点の『バッカス』(フィレンツェ、ウフィツィ美術館。ローマ、ボルゲーゼ美術館)『エジプトへ逃避する聖家族の休息』『懺悔(ざんげ)するマグダラのマリア』(ともにローマ、パンフィーリ美術館)、『占い師』(パリ、ルーブル美術館)が制作されているが、これらの作品にはそれほど斬新な画法はみられない。カラバッジョの生涯は彼の絵画表現にもまして激動的である。口論決闘など相次ぐ無法行為のために1600年から07年にかけて警察と裁判所の監視下に置かれていたが、06年には殺人罪まで犯した。こうした騒乱の渦中にあっても彼は絵筆を放擲(ほうてき)することなく制作を続けた。しかもこの時期に制作された作品が、全生涯を通じてもっとも静穏な雰囲気をたたえている。04年にローマのヌオーバ聖堂に描いた『キリスト十字架降下』(バチカン美術館)は、彼の宗教画のうちでも非常に動感に富む代表作といえる。

[濱谷勝也]

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世界大百科事典(旧版)内のカラバッジョの言及

【ナポリ派】より

…ナポリは17世紀にはスペイン出身の副王が治めており,国際的な交流の場であった。1607年および10年にカラバッジョが滞在したことが,当地の芸術家にとって大きな刺激となり,彼の影響下に,カラッチョロGiovanni Battista Caracciolo(通称バッティステロBattistello。1570ころ‐1637),スタンツィオーネMassimo Stanzione(1585‐1656)などの深刻でリアリスティックな宗教画家が出た。…

【バロック美術】より

…そのような背景の中で,ルネサンスの幾何学的で明晰な空間構造とはまったく異質の,バロックの無限空間,ダイナミックなビジョンが創出されたのである。ロイスダールの広大な空,レンブラントの深い闇,カラバッジョの暗黒,ルーベンスのふるえるアトモスフィア,ベラスケスの深奥的構図は,共通の世界感情から生じたものである。 第2に,16世紀末にすでに進行しつつあったヨーロッパの絶対主義化が17世紀に完了し,オランダの独立をも含め,ヨーロッパ諸国の独立性が確立され,絶対主義を成立せしめた要素(王権の強化,中産階級の成立,国民性の自覚)が,ときに国家的,ときに民衆的,市民的レベルで独自の文化の成立を要求したことがあげられる。…

【光】より

… ただし,光の象徴性は非写実的様式とのみ結びつくわけではない。ルネサンスの写実的傾向がさらに強まったバロックの絵画においても,カラバッジョの宗教画にみられるように,一見現実的な光が現世の闇に輝く神的なるものを象徴していることがある。レンブラントは宗教画のみならず肖像画においても,内面性を表現する手段として光を用いた。…

※「カラバッジョ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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