カボート(父子)(読み)かぼーと

日本大百科全書(ニッポニカ) 「カボート(父子)」の意味・わかりやすい解説

カボート(父子)
かぼーと

(1)父Giovanni Caboto(1425/50ころ―99ころ) 英語名はジョン・カボットJohn Cabot。ジェノバ生まれの北アメリカ探検家、航海者。1461年ベネチアに移住、十数年間航海貿易に従事東西貿易の要衝メッカをはじめアラビア地方を訪れたという。ベネチア市民権を得て(1476)から3人の子を連れイギリスに移り(1484ころ)、西方にあるという伝説の島ブラジル島などを探し、そこから北西航路でアジアへ行く計画をたて、ブリストル商人たちの援助で探検を繰り返した。コロンブスの成功に刺激されたイギリス国王ヘンリー7世の支援を得て97年5月マシュー号でブリストルを出港、北航し、ついで西航、6月ケープ・ブレトン島(あるいはラブラドル)を発見、その後ニューファンドランド南岸を探検、8月ブリストルに帰着した。その後ただちに第2回航海を計画、98年新特許状を得、5月出発、グリーンランド北東海岸を探検、北緯67度30分まで北上氷山に妨げられて引き返した。99年、年金を受けたが、その後の記録はない。彼はビーキングバイキング)以後コロンブスより早くアメリカ大陸に上陸した最初のヨーロッパ人といわれている。

(2)子Sebastiano Caboto(1476ころ―1557ころ) 航海者。(1)の子。父のベネチア時代に生まれ、父の航海に同行、1503年ごろ単独で西航した。12年ごろスペインに移って海軍大尉となり、その後イギリス、スペインの間を数回往復、両国王のそれぞれの計画で北西航路の探検に従事し、17年イギリス国王ヘンリー8世の計画でハドソン湾を発見した。25年スペインの計画でブラジル沖を南下、27年ラ・プラタ川に到着した。53年にはふたたびイギリス国王の計画で北東航路を探検、2隻を失い、彼自身は陸路モスクワを経てイギリスに帰り、55、56年のイギリスの対ロシア交易(モスコビアカンパニー)の端を開いた。

[飯塚一郎]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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