出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
フランスの王妃。父はメディチ家のウルビノ公ロレンツォ。1533年,フランス王フランソア1世の第2子アンリ(のちのアンリ2世)と結婚。3人の国王(フランソア2世,シャルル9世,アンリ3世)と2人の王妃(フェリペ2世の王妃エリザベト,アンリ4世の王妃マルグリット)の母として,ユグノー戦争の混乱時代を,寛容を信条に,国王の尊厳の確立とバロア王家の存続のために生き抜いた。シャルル9世の未成年の時代は摂政を務め,新教徒を抑圧して,サン・バルテルミの虐殺(1572年8月24~25日)を黙認した。存命中から〈毒盛り女〉のイメージを不当にも強調されてきたが,イタリア・ルネサンス文化の移入を通してフランス宮廷文化の発展に寄与した功績は大きい。アンリ2世の愛人ディアヌ・ド・ポアティエとの葛藤,アンリ2世の不慮の死,そして宗教改革の嵐の中で,知性と教養と政治力にあふれた彼女の資質は《書簡集》(1880-1909)にあまねく残されている。
執筆者:志垣 嘉夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
…
[ヨーロッパ]
1370年ころハンガリー王妃エリザベトの愛用したハンガリー水が広義の香水の初めといわれ,フランスでは16世紀の中ごろから香料植物の栽培と香料の製造が盛んになった。それはフィレンツェのメディチ家からフランス王アンリ2世に嫁いだカトリーヌ・ド・メディシスが非常な香料愛好家であったからだといわれている。しかしフランスの宮廷をはじめ貴族や富豪が争って香料や化粧品を使うようになったのは,彼女が政治的支配を確実にするために,宮廷に軟弱な佞臣(ねいしん)をつくるという目的があったからだともいわれている。…
…しかし,旧教派の首領アンリ・ド・ギーズHenri I de Guiseは,新教派の重鎮コリニー提督の国政への影響力増大を嫌い,提督の暗殺を企てたが,これに失敗(8月22日),ユグノー派の総反撃を恐れ大量殺戮へと走った。この計画に王母カトリーヌ・ド・メディシスが荷担していたことは明らかだが,国王シャルル9世は最後の土壇場で計画への同意を余儀なくされたものと見られている。新教派では,コリニー提督をはじめ,婚儀に参集していたリーダーが多数落命したが,一般市民層においても,異端撲滅の叫びの中で一種魔女狩りの状況が現出された。…
… ヨーロッパにおける最初のタバコ栽培は,ゴジエが1558年にフロリダから種子(ルスチカ種)を持ち帰り,ポルトガルのリスボンの王宮の庭にまいたことに始まる。当時,ポルトガル駐在のフランス大使であったジャン・ニコJean Nicotはこの種子を譲り受けて,59年母国の皇太后カトリーヌ・ド・メディシスに頭痛薬として送った。彼女がそれを嗅ぎタバコとして用いたことにより,パイプタバコを紳士の体面をけがすものと排斥していたフランスの宮廷でも,ようやく嗅ぎタバコが流行するようになる。…
…このよく考案され,優雅な暗示に富んだ宴会狂言は,全ヨーロッパを通じて有名になり,各宮廷でも同じようなものを演ずるようになった。 この流行はフィレンツェのメディチ家娘カテリーナ(フランスではカトリーヌ・ド・メディシス)という熱心な保護者を得て,フランスの宮廷に移し植えられた。カトリーヌはアンリ2世に嫁ぎ,のちに王となる3人の息子を生んだが,フランスの勢力と富を外国に誇示するために,この宴会の余興に力を注いだ。…
※「カトリーヌドメディシス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...
4/12 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
4/12 デジタル大辞泉を更新
4/12 デジタル大辞泉プラスを更新
3/11 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
2/13 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新