カストロ(Fidel Castro Ruz)(読み)かすとろ(英語表記)Fidel Castro Ruz

日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

カストロ(Fidel Castro Ruz)
かすとろ
Fidel Castro Ruz
(1926―2016)

革命キューバの最高指導者で、ラテンアメリカが生んだもっとも傑出した革命家、政治家の一人。オリエンテ州北部のビランの近郊で生まれる。父親はスペインのガリシアからの移民で、砂糖と木材で成功した比較的富裕な砂糖農園主。幼少から恵まれた環境で育ち、イエズス会派の学校で初等・中等教育を受けたのち、1945年ハバナ大学法学部に入学。大学で法律を学ぶ一方で、学生運動の指導者として台頭し、大学内外の政治闘争に参加した。1947年にはドミニカ共和国をトルヒーヨの独裁政治から解放するための遠征隊に加わった。1949年に大学を卒業したのち、ハバナで弁護士となり、政治犯や貧しい人々のために才腕を振るった。

 キューバでは1952年3月、フルヘンシオ・バチスタクーデターで政権をとり、あらゆる反対派を押さえつける独裁政治が始まった。この独裁政権を打倒するためにカストロらは1953年7月26日、オリエンテ州サンティアゴ・デ・キューバにあるモンカダ兵営襲撃し、ここから革命家としての経歴が始まった。襲撃は失敗し、彼は逮捕され、裁判にかけられたが、このとき「歴史はわたしを無罪にするだろう」という有名な自己弁論を行った。恩赦で釈放されたのちメキシコに渡り「7月26日運動」を結成。1956年末にふたたびキューバに侵攻した。彼の傑出した指導力のもとでの2年間にわたるゲリラ戦ののち、1959年1月ついにバチスタ政権を打倒し革命を成功させた。革命政権はその後さまざまな難局に直面したが、1959年2月に首相就任して以来の彼の卓抜な指導力とカリスマ的権威によりそれらを乗り切った。国家元首である国家評議会議長、閣僚評議会議長、キューバ共産党第一書記、革命軍最高司令官を兼任し、国民の間での強い信頼と相まって、名実ともに最高指導者の地位にあったが、2006年腸内出血のため権限を暫定的に実弟ラウル・カストロに委譲し、2008年には国家評議会議長、閣僚評議会議長、革命軍最高司令官を辞任、次いで2011年にはキューバ共産党第一書記を辞任し、事実上政界から引退した。

[加茂雄三 2016年12月12日]

『H・マシューズ著、加茂雄三訳『フィデル・カストロ』(1971・紀伊國屋書店)』『後藤政子編訳『カストロ 革命を語る』(1995・同文舘出版)』『新藤通弘著『現代キューバ経済史――90年代経済改革の光と影』(2000・大村書店)』

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