カシュガル(英語表記)Kashghar

精選版 日本国語大辞典 「カシュガル」の意味・読み・例文・類語

カシュガル

(Kashgar) 中国、新疆ウイグル自治区西部の都市天山南路要地にあたり、古くから繁栄した。

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改訂新版 世界大百科事典 「カシュガル」の意味・わかりやすい解説

カシュガル (喀什噶爾
)
Kashghar

中央アジアオアシス都市タリム(塔里木)盆地の西端に位置する。現在の中国,新疆ウイグル自治区喀什地区の喀什市(カスカル・シャフリ)。人口23万(1994)。その大半をウイグル人が占める。南疆で最も重要な都市。漢~宋代の中国には疏勒(そろく)国として知られ,また唐代以降,佉沙,迦師佶黎,伽師祇離,可失哈耳,可失哈児などの呼称でも知られる。イスラム文献にはKāshgharとして見える。東西交通路(シルクロード)上の要衝に位置するため,〈碧眼〉のアーリヤ系民族が居住した前イスラム時代には,しばしばエフタル,突厥(とつくつ),唐,吐蕃など異民族の支配下に置かれた。しかし農業,商業と織物業などの産業が盛んで,玄奘(げんじよう)がこの地を通過した8世紀には,その富に支えられて,小乗系の仏教文化が栄えていた。やがて10世紀,この地がトルコ・イスラム王朝であるカラ・ハーン朝の一首都となると,急速にそのトルコ化,イスラム化が進展し,11世紀にはこの地で世界最初のトルコ・イスラム文学作品《クタドグ・ビリク》も著された。ついで12世紀にはカラ・キタイ,13世紀にはモンゴル帝国,14世紀にはチャガタイ・ハーン国の支配下に入ったが,14世紀40年代にハーン国が東西に分裂すると,この地はその東部ハーン家(モグーリスターン・ハーン国)の支配を受けた。もっとも,14~16世紀におけるハーンの支配はいわば間接支配で,この地方の直接の支配権はモグールのドゥグラト家のアミールたちの手中に握られていた。そのため,16世紀初頭,モグールのハーンはこの地方に進出して,その直接支配を開始した(カシュガル・ハーン国と呼ぶ)。一方,16世紀の末以来,この地方には西トルキスタンからナクシュバンディー教団の神秘主義者たちが到着,ハーンらの支持をも得てその勢力を拡大し,17~18世紀,一般にカシュガル・ホジャ家と呼ばれるこの教団の指導者たちの一族は,宗教面のみならず,政治・経済面でもハーンと並ぶほどの実力を発揮したとも伝えられる。しかしこれらのハーンやホジャたちも17世紀の後半にはジュンガル王国の支配下に入り,ついで18世紀の中葉には清朝の宗主権を認めることを余儀なくされた。この異民族による支配をくつがえす目的で,19世紀には,この地を中心にヤークーブ・ベクの反乱などムスリムの反乱がしばしば勃発したが,いずれも清朝によって鎮圧され,1882年(光緒8),新疆省の成立とともにこの地は清朝治下の一地方都市となり,1955年以降は中国の新疆ウイグル自治区の一地方都市となって今日に至っている。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「カシュガル」の意味・わかりやすい解説

カシュガル
かしゅがる / 喀什噶爾
Kashghar

中国、新疆(しんきょう)ウイグル自治区西端にある一大オアシス、およびその中心となる県級市をさす。県級市は行政上では喀什(カーシー)市と記され、カシュガル地区の公署所在地である。常住人口41万0381(2012)。南疆線(トゥルファン―カシュガル)が通じ、市中心部から北約9キロメートルにはカシュガル空港がある。

 タクラマカン(タクリマカン)砂漠が広がるタリム盆地の四周には、天山(てんざん)、パミール、崑崙(こんろん)山系からの融雪河川による灌漑(かんがい)農耕に支えられたいくつものオアシス都市が古くから発達し、シルク・ロードを支えていた。なかでもカシュガルは、天山を越え西トルキスタン、カザフ草原へ通じる東西通商路上の要衝として古くから繁栄し、現在でも南新疆最大の農産物集積地であるなど、カシュガリア地方における政治的・経済的中心地となってきた。タリム盆地四周のオアシス地帯一帯がカシュガリアと称されてきたのはこのためである。

真田 安・編集部 2018年1月19日]

歴史

漢代には疎勒(疏勒)(そろく)国として知られ、イラン系の民族が住んでいたが、9世紀以降トルコ系の民族が移り住み、10世紀にはイスラム教が浸透し始め、15世紀以降トルコ・イスラム社会が成立した。カシュガリアは絶えず中国、北アジア、西アジアの民族に支配されてきたが、17~18世紀にはカシュガル・ハン国のイスラム宗教貴族ホージャ家がオアシス経済を基盤に、カシュガルを首都にしてカシュガリアを支配した。その後、清(しん)の征服により中国領の最西端に組み込まれて現在に至っている。住民の大多数はイスラム教徒のトルコ系ウイグルであり、現在でも伝統的なイスラム文化が生き続けている。

[真田 安 2018年1月19日]

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百科事典マイペディア 「カシュガル」の意味・わかりやすい解説

カシュガル

中国,新疆ウイグル自治区西南部の都市。新疆南部最大の都市。1952年疏附県の一部地区を分けて市を設置。タリム盆地西隅にあり,タリム川に臨むオアシス都市。天山南路の要地で,羊毛,綿花,茶の交易が行われる。元代のカシュガル汗国の主都で唐勢力の後退とともに,トルコ,イスラム化した。市街は漢城と回城の2区に分かれる。64万人(2014)。
→関連項目新疆ヤークーブ・ベク

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「カシュガル」の解説

カシュガル
Kāshghar[チャガタイ],Qäshgär[現代ウイグル]

中国新疆(しんきょう)ウイグル自治区西部の都市。中央アジアにおける東西交渉路の要衝。漢代以来,中国では疏勒(そろく)と呼ばれ,唐代には安西四鎮の一つとなった。10世紀以後,イスラーム化が進むと,東トルキスタンにおけるイスラームの中心地として機能し,17~18世紀にはカシュガル・ホージャ家白山(はくざん)党の拠点となった。20世紀には,1933年に東トルキスタン・イスラーム共和国が樹立された。街の中心にイードガーフ・モスクがある。

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旺文社世界史事典 三訂版 「カシュガル」の解説

カシュガル
Kāshí

中国新疆 (しんきよう) (シンチヤン) ウイグル自治区南西部にあるオアシス都市
前漢から宋代まで約1000年間は疏勒 (そろく) と記された。タリム盆地の北西にあり,天山南路の要衝である。唐代は安西四鎮の1つであり,その後カラ−ハン朝・カラ−キタイ(西遼)・チャガタイ−ハン国・ジュンガルに属し,1759年以来,清国に属し,1882年,新彊省の地方都市とされた。

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世界大百科事典(旧版)内のカシュガルの言及

【住居】より


[ウイグル族の住居]
 新疆ウイグル族の住居は地方によって形式・構造とも異なる。カシュガルの住宅は,日常生活の大きな部分を占める中庭を随所に設けた複合型平面で,〈アイワン〉と呼ぶ大広間を中心とする。木造の梁に小梁を並べた土葺き陸屋根で,天窓により採光し,室内には壁龕を設け,セッコウの文様彫刻や木造部材にも彫刻を多用する。…

※「カシュガル」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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