カシュガル・ハン国(読み)カシュガル・ハンこく

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「カシュガル・ハン国」の意味・わかりやすい解説

カシュガル・ハン国
カシュガル・ハンこく
Kashgar Khanate

チャガタイ・ハン (察合台汗)末裔であるモグリスタン・ハン国の一王子サイードが 1514年にカシュガルを中心とするタリム盆地西部に建てた政権。のちには同族の拠っていた東方のトゥルファン (吐魯番) ,ハミ (哈密) をも併合し,最盛期には現在のシンチヤン (新疆) ウイグル (維吾爾) 自治区の南半を領有した。しかし,分立的なオアシス群を基盤としていたためにハンの権限は弱く,統一的な政権ではなかった。さらに宗教貴族ホージャ家 (→カシュガル・ホージャ家 ) や北方の遊牧国家ジュンガルなど内外両面からの圧迫があり,18世紀中頃清朝の討征を受けた時点では,ほとんど国家としての実体は存在していなかった。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「カシュガル・ハン国」の意味・わかりやすい解説

カシュガル・ハン国
かしゅがるはんこく

16~17世紀にチャガタイ・ハン国の末裔(まつえい)がカシュガル地方(中国新疆(しんきょう/シンチヤン)ウイグル自治区南部)に建てた国の通称。チャガタイ・ハン家のサイードが遊牧騎馬軍団を率いて、1514年にカシュガル地方の主要オアシスであるヤルカンドを征服し、ここを首都として成立した。支配階級はモグールとよばれるトルコ化したモンゴル系の遊牧民であり、彼らはこの国をモグール・ハン国と自称していた。その領域は東部のハミ、トゥルファン地方にまで及んだが、支配下のオアシスが分散していたために分裂しがちであり、イスラム貴族ホージャ勢力の伸張もあって、ハンの力は弱まっていった。やがて新興遊牧勢力のジュンガル・ハンのガルダンによって1680年に滅ぼされた。

[堀 直]

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「カシュガル・ハン国」の解説

カシュガル・ハン国(カシュガル・ハンこく)
Kāshghar Khān

1524~1680

いわゆる東チャガタイ・ハン国の後裔,サイード・ハンが16世紀初頭に樹立した国家。タリム盆地周縁の諸オアシスを広域的に統治する政権を実現した。首都はヤルカンド。中国ではヤルカンド・ハン国と呼称される。17世紀に入ると,カシュガル・ホージャ家のホージャたちと実権をめぐって相争い,衰退した。ジュンガル勢力の進出と統治により,1680年に事実上滅亡した。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

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