世界大百科事典 第2版 「カザン・ハーン国」の意味・わかりやすい解説
カザンハーンこく【カザン・ハーン国 Qazān Khān】
出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報
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…キプチャク・ハーン国が解体した15~16世紀には,カザン,アストラハン,クリミア,シベリアなど,南ロシアからシベリアにかけて,いくつかのタタールの国家が誕生し,それぞれ異なるタタール人の民族体も現れてきた。このうちのカザン・ハーン国は,15世紀前半に,それまでのボルガ・カマのブルガール国にかわってその地域と住民を支配するようになった国家で,その領域には,カザン・タタールを中心に,バシキール,チュバシ,マリ,モルドバ,ウドムルトなどの諸民族体が派生した。 1552年,ロシアのイワン4世(雷帝)がカザンを占領し,58年にカザン・ハーン国全土を併合するに及んで,これら諸族はロシア帝国の支配下に組み入れられた。…
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