カイ・カーウース(読み)かいかーうーす(英語表記)Kai Kā'ūs

日本大百科全書(ニッポニカ) 「カイ・カーウース」の意味・わかりやすい解説

カイ・カーウース
かいかーうーす
Kai Kā'ūs
(1021―1098)

ペルシアの地方王朝ズィヤール朝(ジャール朝)の君主(在位1050~1087)。1082年、愛息ギーラーン・シャーGilan Shah(在位1087~1090)のために執筆した教訓書『カーブースの書』の著者として知られる。小王朝の王子、君主として青年時代からさまざまな苦労を経験するが、その体験と知識に基づき、歴史上の逸話を引きながら同書を執筆。政治史上は無名に近いが、この一書によって不朽の名声を得た。

[黒柳恒男 2016年10月19日]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「カイ・カーウース」の意味・わかりやすい解説

カイ・カーウース
Kay Kā'ūs

[生]1021
[没]1098
ペルシアのジヤール朝の君主。文学的才能に恵まれ,愛息ギーラーン・シャーのために書いた『カーブースの書』 Qābūs-nāme (1082) は処世と人間行動の規律に関する教訓書で,食事狩猟奴隷諸学など 44章から成り,当時の社会状態が詳しく述べられている。「モンゴル侵入前のイスラム文化集大成」と評され,邦訳もある。

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世界大百科事典(旧版)内のカイ・カーウースの言及

【ジヤール朝】より

…しかし935年に,彼が配下のトルコ人奴隷によって暗殺されて以降は急速に衰退し,サーマーン朝,ガズナ朝の宗主権下に,カスピ海南岸部で辛うじて命脈を保つだけになった。7代目の君主カイ・カーウースKay Qā’ūsが63歳のとき(1082∥83)に愛息に書き残した遺訓の書《カーブースの書Qābūsnāma》は,ペルシア文学の傑作としても有名である。【清水 宏祐】。…

【ペルシア文学】より

…15世紀のティムール朝時代に文化の中心になったヘラートにおいては,古典時代の最後を飾る偉大な神秘主義詩人ジャーミーが現れ,神秘主義長編叙事詩《七つの王座》を作詩した。 散文学は10世紀にアラビア語史書・宗教書のペルシア語訳で始まり,その後ますます興隆して教訓,歴史,詩人伝,地理,神学,物語,旅行記などきわめて多岐にわたる作品が現れ,〈鑑文学〉で知られる《カーブースの書》(カイ・カーウースKay Kā’ūs作)や《政治の書》などは高く評価されるが,全般的に詩に比べると二次的存在であった。しかし13世紀から15世紀にかけてジュワイニーラシード・アッディーンワッサーフハーフィズ・イ・アブルーらの偉大な歴史家たちによる作品はきわめて高い位置を占めている。…

※「カイ・カーウース」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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