オーデル・ナイセ線(読み)オーデルナイセせん

百科事典マイペディア 「オーデル・ナイセ線」の意味・わかりやすい解説

オーデル・ナイセ線【オーデルナイセせん】

1945年のポツダム協定で暫定的に設けられたドイツポーランドの分轄線で,オーデル川とその支流ナイセ川を連ねる線で,長く東西対立の一因となった。1950年東独・ポーランド間にこれを最終的国境線とする協定が締結されたが,西独・英・米・仏諸国はこの協定を認めなかった。その後1970年西独もこれを承認。1990年のドイツ統一後,この線を将来にわたって国境線とすることが確認された。→ポツダム会談
→関連項目独ソ武力不行使条約

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世界大百科事典(旧版)内のオーデル・ナイセ線の言及

【オーデル[川]】より

…ヨーロッパ中央部を北流する川。ポーランド語名はオドラOdra川。全長903km。流域はポーランド西部とドイツ東部をおおう。チェコ北部のズデーテン山地に源を発し,カルパチ山脈の峠を越えてポーランド領内にはいる。いくつかの支流を合わせつつシロンスク(シュレジエン)平原を北西に流れ,ブロツワフ(旧ブレスラウ)を貫流,モレーンの台地間を曲流しながら下る。ウィルヘルム・ピーク地方でナイセ川を,さらに右岸にワルタWarta川を合わせ,北流してオーデル湾に注ぐ。…

【ドイツ連邦共和国】より

…69年からのSPDとFDPの新連立政権のもとで,ブラント首相とシェール外相は東方外交をもって,デタント(緊張緩和)の最前線外交を展開する。70年にはソ連およびポーランドと条約を締結,武力による紛争解決を放棄,ポーランドの西方国境線としてオーデル・ナイセ線を承認した。アデナウアーが西側諸国との和解と協力に貢献したとすれば,ブラントは東側諸国との和解と交流に努力し,この2人の首相をもって,戦後処理は完結される。…

【ナイセ[川]】より

…ポーランド名ニサNysa川。ヨーロッパ中央部を北流するオーデル川の左岸支流。チェコのイーゼル山脈南斜面(標高785m)に源を発し,やがて構造線に支配されてほぼ北流し,ウィルヘルム・ピーク地方でオーデル川に合流する。全長256km。第2次大戦後,オーデル川とこのナイセ川を連ねるオーデル・ナイセ・ラインが東ドイツとポーランドの国境線と定められた。ほとんど航行不能。上流部のラウジッツ地方には豊かな褐炭層がある。…

※「オーデル・ナイセ線」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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