オング(読み)おんぐ(英語表記)Walter Jackson Ong, Jr.

日本大百科全書(ニッポニカ) 「オング」の意味・わかりやすい解説

オング
おんぐ
Walter Jackson Ong, Jr.
(1912―2003)

アメリカの哲学者、文化史家。カンザス・シティ生まれ。セントルイス大学名誉教授、イエズス会神父。メディア論のパイオニアとして世界的に知られる。生地のカトリック学校を経てセントルイス大学で古典学士、英語学修士、哲学、神学博士課程修了、1953年ハーバード大学で哲学博士号取得。MLA(Modern Language Asssociation of America、アメリカ現代語学文学協会)会長などの学術委員を務め、多数の大学で教鞭(きょうべん)をとったほか、セントルイス大学英語学教授、心理学教授として教育にあたった。

 オングの仕事は、初期のペトルス・ラムス研究にみられるように、中世キリスト教哲学・修道会の営みへの関心、現代キリスト教哲学の重要課題である「我―汝」コミュニケーションへの関心などカトリックと切り離せない関係にある。オングのメディア論関係の業績は、印刷術の出現による口承文化から活字文化への移行と、現代エレクトロニクス・放送メディアの出現による口語文化への回帰文字以前の口承性と区別して「第二次口承性」とよぶ)の歴史的検証を柱とする。活版印刷が普及する16世紀には、声の文化に変化がもたらされる。その時代の哲学者ラムスの仕事に着目したオングは、ラムスは自己の文章に神秘的な英知よりも商品的な意味で「有用な価値をもつものを見る」ことを論証し、印刷により語と音声の連想関係が薄れて、文字が空間中のものであるかのような認識が発生するとする(『ラムス――方法、そして対話衰退』(1958))。このラムス研究は、マクルーハンの『グーテンベルクの銀河系』(1962)に少なからぬ影響を与えるが、『ラムス』と同年に出版したラムスと同時代のフランスの人文学者タロンOmer Talon(1510―1562)についての書誌『ラムス・アンド・タロン文献目録』(1958)を、自己のラムス研究を実現させた示唆を受けたという理由から、かつてセントルイス大学で英語学を教えていたマクルーハンに捧げている。またマクルーハンもオングも、口承/文字文化の問題系を、ハーバード大学研究チームによる1930年代の旧ユーゴスラビア地方の口承詩人研究により明らかになった口承コミュニケーションの規則性を土台として発展させている。

 さらにオングは、古代ギリシアの口承/文字の問題に古くから関心を寄せていたハブロックEric A. Havelock(1903―1988)との相互影響のもと、音声言語の世界にエクリチュール(書きことば)が与えるインパクトの歴史的展望を深めた。ハブロックは『書を学ぶミューズ』(1986)のなかで、オングの主著『声の文化と文字の文化』(1982)でのハブロックへの謝辞に返すかたちで、同書が近代文化まで対象を拡大して「話―文字問題」を理論的に語ることが可能になったのはオングの業績のおかげであると述べている。

 オングは多くの論文で、西欧文化史の核心にある文字の問題への関心を追求した。その核心は、手書き文字の視覚主義は科学と論理学を生んだが、印刷文化のハイパー視覚主義は思考の空間化と量化をもたらし、声から文字に移行するなかで近代化と世俗化が進行する、という点である。『声の文化と文字の文化』のなかで、オングは現代のテクノロジー、言語理論、コミュニケーションを網羅的に扱い、この点を確認している。

 また他方では、情報理論的に量化できない質としての「我―汝」コミュニケーションの関係があり、これは一個人を他の個人と結ぶ本源的コミュニケーションと捉(とら)えられる。オングは論文「信への呼び声としての声」Voice as summons for Belief(1958)のなかで、「自らが聴くことを聴く」(ガブリエル・マルセル)経験の喪失に「我―汝」コミュニケーションの分裂を見、「汝を信ずる」ということは、それに伴うあらゆる「汝の……ということ」を信じることにつながるという。たとえば、神の存在の肯定はその属性のすべてを真と受け取ることである。活字文化による声の外在化によって、「他者を聴くこと/わたしたちの現前」という感覚の二重性に分離が生じる。「我」と「汝」の間に第三項のメディアがおかれて、メディアの媒介によって私たちはコミュニケーションに至るようになる。オングはそこに認識の様態の変化をみて、印刷術の誕生を歴史にもつ文化に共通の革命とみなす。オングが指摘するのは、英語辞典が150万もの語彙(ごい)を登録する一方で、文学をもたない言語が2000~3000の語彙しかもたないことである。つまり活字による文字の定着が、歴史をもつ文化への最初のステップであり、語彙を増やし、文法を定めることの始まりなのである。

[原 宏之 2015年10月20日]

『桜井直文他訳『声の文化と文字の文化』(1991・藤原書店)』『Ramus and Talon inventory(1974, Folcroft Library Editions, Folcroft)』『Ramus; Method, and the Decay of Dialogue(1983, Harvard University Press, Cambridge)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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