オルデンブルク(読み)おるでんぶるく(英語表記)Oldenburg

デジタル大辞泉 「オルデンブルク」の意味・読み・例文・類語

オルデンブルク(Oldenburg)

ドイツ北西部、ニーダーザクセン州の都市。ウェーザー川の支流フンテ川とキュステン運河の合流点に位置する。旧オルデンブルク大公国の首都であり、17世紀建造のオルデンブルク城がある。周辺に農地が広がり、食品加工業をはじめとする工業が盛ん。哲学者ヤスパース生地

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「オルデンブルク」の意味・わかりやすい解説

オルデンブルク
おるでんぶるく
Oldenburg

ドイツ北西部、ニーダーザクセン州の行政中心都市。人口15万4800(2000)。ウェーザー川左岸の支流フンテ川の左岸に位置し、ブレーメンから北西方に向かう道路の渡河点に町ができた。17世紀までは潮汐(ちょうせき)がここまで及び、外国貿易も行われたが、川の土砂堆積(たいせき)で不可能となった。かつては官吏と年金生活者の都市で、農産物加工、農業機械などわずかな工業があるにすぎなかったが、1935年にエムス川とウェーザー川を連絡するキュステン運河が建設され、70年にそれが拡張されて、輸送業のほか、電気機器、繊維、木材などの工業が立地し、工業都市に変わりつつある。旧市街とその南に隣接する城館が市街地の核心をなし、その外に20世紀になって発達した部分が広がっている。城館は現在、芸術史・文化史博物館となり、背後の庭園が美しい。その他古い教会、自然・先史博物館、国立劇場、大学などの文化財、文化施設が多い。

[齋藤光格]

歴史

旧オルデンブルク大公国の首都。8世紀ごろから定住が始まり、12世紀なかば以降、オルデンブルク伯の居城があった。13世紀に市場が成立し、商業が栄えたが、ハンザ同盟には加盟しなかった。最古都市法は1345年。1667年から1773年までデンマーク領となったが、以後1918年まで公(大公)の宮廷があった。1815年に同大公国は面積6400平方キロメートル、人口約20万を数えた。行政と文化の中心で、工業もおこった。同大公国は旧ドイツの一州となったのち、1946年ニーダーザクセン州に編入された。哲学者ヤスパースの生地。

[諸田 實]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「オルデンブルク」の意味・わかりやすい解説

オルデンブルク
Oldenburg, Henry

[生]1618頃.ブレーメン
[没]1677.9.5. ロンドン
イギリスで活躍したドイツ出身の科学ジャーナリスト。父はブレーメンの教師。ユトレヒト大学で神学を学ぶ。 1640年代の数年間のイギリス滞在後,ブレーメンの外交官としてイギリスに居を構える (1653) 。巧みな語学と幅広い交際,精力的な旅行によって当時のヨーロッパ中の著名な学者と知合う。ロンドンにロイヤル・ソサエティが設立されるとその書記となり (62) ,広範囲の文通によって科学的情報の収集,交換に努めた。ロイヤル・ソサエティの『フィロソフィカル・トランザクション』誌を,まったくの独力で編集,発行 (65) ,その後の科学専門雑誌の発展の基礎を築いた。またロイヤル・ソサエティの名で,科学的著作の翻訳,刊行にも力を注ぎ,ヨーロッパ科学全体の発展の陰の原動力となった。

オルデンブルク
Oldenburg

ドイツ北西部,ニーダーザクセン州の都市。ブレーメン西方の北ドイツ平原にある。 12世紀初頭からの町で,1345年都市権を得,オルデンブルク公の居地となった。ウェーザー,エムスの両川にはさまれた地方の商工業の中心地。牛馬市が立ち,産業は食肉加工,ガラス,繊維業など。オルデンブルク大公宮殿 (1607~15) など歴史的建築物もあり,劇場,図書館,植物園など文化施設も整っている。鉄道の交点であり,また港はフンテ川でウェーザー川に,キュステン運河でエムス川に通じる。人口 16万1334(2010)。

オルデンブルク
Ol'denburg, Sergei Fëdorovich

[生]1863.9.26.
[没]1934.2.28.
ソ連の東洋学者,インド学者。 1897年以来『仏教文庫』 Bibliotheca Buddhicaの刊行を行なったほか,東トルキスタンを探検した (1909~10,14~15) 。科学アカデミー常任書記 (07~29) ,レニングラード東洋美術館館長。

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百科事典マイペディア 「オルデンブルク」の意味・わかりやすい解説

オルデンブルク

ドイツ,ニーダーザクセン州,ブレーメン西北西40kmの都市。中世来周辺の農業を基盤とする商取引が盛んで,家畜の飼育・売買の中心地。農器具,繊維,食料,ガラス,家具などの工業が行われる。周辺地域とともに12世紀来同名の伯爵領,1777年公国。16万2500人(2011)。

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デジタル大辞泉プラス 「オルデンブルク」の解説

オルデンブルク

《Oldenburg》ドイツ海軍の戦艦。ヘルゴラント級。1910年進水、1912年就役の弩級戦艦。1916年のユトランド沖海戦に参加。第一次世界大戦後、賠償艦として日本に割り当てられたが編入はされず、1921年に解体。

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367日誕生日大事典 「オルデンブルク」の解説

オルデンブルク

生年月日:1854年10月31日
ドイツのインド学者
1920年没

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世界大百科事典(旧版)内のオルデンブルクの言及

【ザクセン】より

…第2次世界大戦の後,この地域はイギリスの占領下におかれたが,占領諸国による戦後処理政策の一環としてうちだされた1946年11月1日の軍政令第55号により,ラント・ニーダーザクセンの樹立が決定される。そして,それは旧ハノーファーを中心として,同じくウェルフェン公家領に由来するブラウンシュワイク,旧オルデンブルク伯領に由来するオルデンブルクOldenburg,およびウェーザー川沿いの小伯領に由来するシャウムブルク・リッペSchaumburg Lippeを合わせて構成されることになった。 ニーダーザクセンは面積4万7609km2をもつドイツ第2の広いラントである。…

※「オルデンブルク」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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