オリファント(読み)Oliphant,Laurence

朝日日本歴史人物事典 「オリファント」の解説

オリファント

没年:1888.12.23(1888.12.23)
生年:1829
幕末来日したイギリスの旅行家,著述家。ケープタウン生まれ。スコットランド出身のケープ植民地法務長官の子。1848年革命,クリミア戦争その他19世紀中葉のヨーロッパや中米の主な動乱ないし戦争に遭遇または進んで関与し,盛んに『タイムズ』など新聞雑誌に寄稿。1857年から59年へかけては対清特派使節ブルース(エルギン伯)に秘書として随行,この間安政5(1858)年日英修好通商条約締結のため訪日。文久1(1861)年在日イギリス公使館書記官に任ぜられるが,着任早々水戸浪士襲撃(第1次東禅寺事件)で重傷を負い帰国,翌年退職。1865年下院議員に当選,折から来英の薩摩藩士をグラヴァーの依頼で外務次官に紹介。1867年議員を辞し,神秘主義者の指導する信仰共同体に加わるため渡米。新たな波乱曲折の生涯を送った末,本国で死去。<著作>《Narrative of the Earl of Elgin’s Mission to China and Japan》

(廣瀬靖子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「オリファント」の意味・わかりやすい解説

オリファント
Olyphant, David Washington Cincinnatus

[生]1789.3.7.
[没]1851.6.10. カイロ
アメリカの商人ニューヨークで中国貿易会社に入り,1820年代には広東支店に勤務,次いでタルボット・オリファント商会をつくって 30年代と 50年代に広東を訪れ,プロテスタント伝道を援助した。 32年にはブリジマンを助けて雑誌"The Chinese Repository"を発刊。 37年には日本人漂流民7名の送還を機に日本との通商を求めて,商会の『モリソン』号を派遣したが,異国船打払令のため目的を達しなかった。 (→モリソン号事件 )

オリファント
Oliphant, Laurence

[生]1829. 南アフリカ
[没]1888.12.23. ロンドン
イギリスの旅行家。父はスコットランド出身で,ケープ植民地の知事であった。カトマンズへの旅,黒海のロシア沿岸への旅ののち,エルギン使節の随員として来日した。万延1 (1860) 年暮れ,駐日イギリス公使館一等書記官となり,東禅寺事件で負傷した。のちアメリカ,パレスチナを経て再婚の旅の途上ロンドンで病死。著書に『エルギン卿遣日使節録』などがある。

オリファント
Oliphant, Margaret Oliphant

[生]1828.4.4. ウォリフォード
[没]1897.6.25. ウィンザー
イギリスの女性作家。スコットランド出身。多作家として知られ,主作品は『カーリングフォード物語』Chronicles of Carlingford(1863~66)。英文学史の著述もある。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「オリファント」の解説

オリファント Oliphant, Laurence

1829-1888 イギリスの外交官。
安政5年エルギンの秘書として来日。駐日イギリス公使館一等書記官に任命され文久元年再来日するが,同年5月28日江戸高輪東禅寺の仮公使館で水戸浪士の襲撃をうけて重傷を負い(東禅寺事件),帰国した。1888年12月23日死去。59歳。ケープタウン出身。著作に「エルギン卿(きょう)遣日使節録」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

脂質異常症治療薬

血液中の脂質(トリグリセリド、コレステロールなど)濃度が基準値の範囲内にない状態(脂質異常症)に対し用いられる薬剤。スタチン(HMG-CoA還元酵素阻害薬)、PCSK9阻害薬、MTP阻害薬、レジン(陰...

脂質異常症治療薬の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android