オスカー デラホーヤ(英語表記)Oscar DeLaHoya

現代外国人名録2016 「オスカー デラホーヤ」の解説

オスカー デラホーヤ
Oscar DeLaHoya

職業・肩書
元プロボクサー 元WBA・WBC統一世界スーパーウエルター級チャンピオン バルセロナ五輪ボクシングライト級金メダリスト

国籍
米国

生年月日
1973年2月4日

出生地
カリフォルニア州イーストロサンゼルス

経歴
メキシコ系。父、祖父ともにボクサーという一家に育ち、5歳でボクシングを始める。以後アマチュアで228試合戦い、負けたのは5回。美貌と強烈な輝きを放つリングの才能でアマとしては異例の注目を浴びた。1990年、’91年米国ライト級チャンピオン。’92年バルセロナ五輪ライト級で金メダルを獲得。同年11月破格の契約金でプロデビュー。’94年3月WBOジュニアライト級王座、7月同ライト級王座を獲得。’95年5月IBFライト級王座を獲得し、IBF、WBO統一王座に就く。’96年6月WBC世界ジュニアウエルター級(現・スーパーライト級)王者フリオ・セサール・チャベス(メキシコ)を破り3階級を制覇。’97年4月WBC世界ウエルター級王者パーネル・ウィテカー(米国)を破り4階級を制覇。’98年9月のチャベスとウエルター級の防衛戦で再戦、3階級制覇の老雄を8回終了TKO勝ちで返り討ちにし、“デラホーヤ時代”を印象付けた。ウエルター級で7度の防衛に成功するが、’99年9月IBF世界ウエルター級王者フェリックス・トリニダード(プエルトリコ)との統一戦で、2ポイント差で判定負けし、キャリア初黒星を喫した。2000年2月WBC世界ウエルター級王座挑戦者決定戦でダレル・コーリー(米国)と対戦しKO勝ち。同年3月WBA世界スーパーウエルター級王座を獲得したトリニダードがWBCウエルター級王座を返上したため、同王座を取り戻すが、同年6月シェーン・モズレー(米国)に判定負けしタイトルを失う。2001年6月WBCスーパーウエルター級王者ハビエル・カスティリェホ(スペイン)を判定で破り、史上最年少、最短で5階級制覇を達成。2002年9月フェルナンド・バルガス(米国)の持つWBA世界スーパーウエルター級のタイトルを奪い、WBA・WBCの統一王座に就く。2003年9月モズレーに敗れタイトルを失う。2004年6月WBOミドル級王者フェリックス・シュトルム(ドイツ)を判定で破り、史上初の6階級制覇を達成。同年9月WBA、WBC、IBF王者バーナード・ホプキンス(米国)に人生初のKO負けを喫した。1年8ケ月ぶりのリングとなった2006年5月のWBC世界スーパーウエルター級タイトルマッチでは、王者リカルド・マヨルガ(ニカラグア)を6回TKOで下し、10個目の世界タイトルを獲得。2007年5月WBCスーパーウエルター級チャンピオンとして、フロイド・メイウェザー(米国)と“中量級最強決定戦”を行うが、判定負けし王座陥落。2008年12月WBC世界ライト級チャンピオンのマニー・パッキャオ(フィリピン)と階級差を超えたドリームマッチを行うが、8回TKO負け。2009年4月「高いレベルで戦えなくなった」として現役を引退した。45戦39勝(30KO)6敗。179センチ、69.8キロ。リーチ183センチ。右ボクサーファイター。2000年歌手としてグラミー賞にノミネートされた。現役中からプロモーター業のゴールデンボーイ・プロモーション会長も務め、ボクシング界をリードする。

出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報

最新 世界スポーツ人名事典 「オスカー デラホーヤ」の解説

オスカー デラホーヤ
Oscar DeLaHoya
ボクシング

プロボクサー 元・WBA・WBC統一世界スーパーウエルター級チャンピオン
生年月日:1973年2月4日
国籍:米国
出生地:カリフォルニア州イーストロサンゼルス
経歴:メキシコ系米国人。父、祖父ともにボクサーという一家に育ち、5歳でボクシングを始める。以後アマチュアで228試合戦い、負けたのは5回。美貌と強烈な輝きを放つリングの才能でアマとしては異例の注目を浴びた。1990年、’91年米国ライト級チャンピオン。’92年バルセロナ五輪ライト級で金メダルを獲得。同年11月破格の契約金でプロデビュー。’94年3月WBOジュニアライト級王座、7月同ライト級王座を獲得。’95年5月IBFライト級王座を獲得し、IBF、WBO統一王座に就く。’96年6月WBC世界ジュニアウエルター級(現・スーパーライト級)チャンピオンのフリオ・セサール・チャベス(メキシコ)を破り3階級を制覇。’97年4月WBC世界ウエルター級チャンピオンのパーネル・ウィテカー(米国)を破り4階級を制覇。’98年9月のチャベスとウエルター級の防衛戦で再戦、3階級制覇の老雄を8回終了TKO勝ちで返り討ちにし、“デラホーヤ時代”を印象付けた。ウエルター級で7度の防衛に成功するが、’99年9月IBF世界ウエルター級チャンピオンのフェリックス・トリニダード(プエルトリコ)との統一戦で、2ポイント差で判定負けし、キャリア初黒星を喫した。2000年2月WBC世界ウエルター級チャンピオン挑戦者決定戦でダレル・コーリー(米国)と対戦しKO勝ち。同年3月WBA世界スーパーウエルター級チャンピオンを獲得したトリニダードがWBCウエルター級チャンピオンを返上したため、同チャンピオンの座を取り戻すが、同年6月シェーン・モズレー(米国)に判定負けしタイトルを失う。2001年6月WBCスーパーウエルター級チャンピオンのハビエル・カスティリェホ(スペイン)を判定で破り、史上最年少、最短で5階級制覇を達成。2002年9月フェルナンド・バルガス(米国)の持つWBA世界スーパーウエルター級のタイトルを奪い、WBA・WBCの統一王座に就く。2003年9月モズレーに敗れタイトルを失う。2004年6月WBOミドル級チャンピオンのフェリックス・シュトルム(ドイツ)を判定で破り、史上初の6階級制覇を達成。同年9月WBA、WBC、IBF王者のバーナード・ホプキンス(米国)に人生初のKO負けを喫しタイトルを失う。1年8ケ月ぶりのリングとなった2006年5月のWBC世界スーパーウエルター級タイトルマッチでは、王者リカルド・マヨルガ(ニカラグア)を6回TKOで下し、10個目の世界タイトルを獲得。2007年5月WBCスーパーウエルター級チャンピオンとして、フロイド・メイウェザー(米国)と“中量級最強決定戦”を行うが、判定負けし王座陥落。2008年12月WBC世界ライト級チャンピオンのマニー・パッキャオ(フィリピン)と階級差を超えたドリームマッチを行うが、8回TKO負け。2009年4月「高いレベルで戦えなくなった」として現役を引退した。45戦39勝(30KO)6敗。179センチ、69.8キロ。リーチ183センチ。右ボクサーファイター。2000年歌手としてグラミー賞にノミネートされた。現役中からプロモーター業のゴールデンボーイ・プロモーション会長も務め、ボクシング界をリードする。

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