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「オイストラフ」の意味・わかりやすい解説
オイストラフ
ロシアのバイオリン奏者。ウクライナのオデッサ(当時ロシア領)に生まれ,同地の音楽院に学ぶ。1935年のビエニアフスキ国際バイオリン・コンクールでヌブーに次ぐ第2位に入賞し,1937年ブリュッセルのイザイエ・コンクール(のちのエリザベート王妃国際音楽コンクール)で優勝。1953年パリとロンドンで西側にデビューし,1955年米国デビュー。高度な技巧に支えられたスケールの大きな演奏でハイフェッツと並ぶ名声を得た。ショスタコービチの協奏曲やソナタをはじめ旧ソ連の作曲家の作品を数多く初演している。プロコフィエフの《バイオリン・ソナタ第2番》(1944年)は,オイストラフの勧めで前年作曲の《フルート・ソナタ》から編曲された(オイストラフとオボーリンにより初演)。晩年は指揮も手がけた。1955年に初来日。弟子にクレーメルなど。→コーガン/ハチャトゥリヤン/リヒテル
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オイストラフ
おいすとらふ
Давид Фёдорович Ойстрах/David Fyodorovich Oystrah
(1908―1974)
ロシアのバイオリン奏者。20世紀を代表する名手の一人。ユダヤ系ロシア人の子としてウクライナのオデッサ(現、オデーサ)に生まれる。1937年イザイ国際コンクールで優勝、国際的に知られたが、まもなく始まった第二次世界大戦のため、西欧諸国での活発な活動は戦後の1950年代まで持ち越された。1955年(昭和30)初来日。L・アウアーの系統を引くバイオリン奏者であったが、技巧重視、情緒偏重のアウアーのスタイルを克服し、安定した技巧のうえに、作品の内容を直截(ちょくせつ)に表出する格調の高いスタイルを築き上げ、後進に大きな影響を及ぼした。バロックからロシアの現代音楽まで、レパートリーの広いことでも有名。晩年は指揮でも活躍した。息子のイーゴリИгорь/Igor'(1931―2021)もバイオリン奏者として知られている。
[岩井宏之]
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オイストラフ
Oistrakh, David (Fëdorovich)
[生]1908.9.30. ロシア,オデッサ
[没]1974.10.24. オランダ,アムステルダム
ソビエト連邦のバイオリニスト。 1926年オデッサ音楽院卒業。 1934年以後モスクワ音楽院教授。 1935年全ソ・コンクール優勝。 1937年イザイ国際コンクール優勝。ヤッシャ・ハイフェッツと並ぶバイオリンの巨匠と絶賛され,ドミトリー・ショスタコビッチをはじめソ連の大作曲家から協奏曲の献呈を受けた。 1955年来日。イーゴリ・オイストラフ (1931~ ) はその息子で,父に劣らぬ名手といわれる。 1967年父子で来日,共演して絶賛を博した。
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オイストラフ
(David Fjodorovič Ojstrah ダビード=フョードロビチ━) ソ連の世界的バイオリニスト。モスクワ音楽院主任教授をつとめ、指揮者としても活躍。(一九〇八‐七四)
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デジタル大辞泉
「オイストラフ」の意味・読み・例文・類語
オイストラフ(David Fyodorovich Oystrakh)
[1908~1974]ソ連のバイオリニスト。技巧の完全さと感情表現の新しさで、世界的に有名となった。
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オイストラフ【David Fyodorovich Oistrakh】
1908‐74
ソ連邦のバイオリン奏者で,20世紀を代表する名演奏家の一人。オデッサ音楽院を卒業,モスクワ音楽院で教職につく。1935年ビエニアフスキ国際コンクール2位,37年イザイエ国際コンクール1位。第2次世界大戦後,西側諸国で本格的に活躍。55年アメリカと日本をはじめて訪れ,卓越した演奏技巧と豊麗な響きを武器に,スケールの大きい演奏をきかせ,爆発的な人気を博した。バロック音楽から現代音楽まで,広いレパートリーをこなしたことでも有名。
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