エンロン(読み)えんろん(英語表記)Enron Corp.

日本大百科全書(ニッポニカ) 「エンロン」の意味・わかりやすい解説

エンロン
えんろん
Enron Corp.

アメリカの大手総合エネルギー会社。1990年代以降、電力・ガスなどエネルギーの規制緩和政策の波に乗って急成長を遂げ、電力卸売り・小売り、エネルギー商品のオンライン取引などを手がけて内外に事業を拡大した。しかし、2001年、不透明な会計処理が発覚、信用不安による株価下落が止まらず史上最大規模の経営破綻(はたん)に陥った。

 同社の創業は、1930年代に創立されたガス会社が1975年に四つのガスパイプライン会社を買収して、1985年にテキサス州ヒューストンへ本社を移した時点に始まる。エンロンが20世紀末アメリカのニュービジネス企業として台頭し始めるチャンスとなったのは、1996年にオレゴン州の電力会社ポートランド・ゼネラル・エレクトリックを買収して電力業界に参入したときからである。アメリカ政府の電力・ガスなどエネルギー政策の規制緩和が始まり、それがイギリス、ドイツ、スウェーデンなどのヨーロッパから日本へと広がった1990年代後半から2000年にかけて、エンロンは巨大なエネルギー多国籍企業となり、通信や水道、金融にも手を広げてコングロマリット化を開始した。1996年時点で300億ドルであった売上高は、2000年には1000億ドルを超え、アメリカの多国籍企業として全米7位までランクを上げていた。

[奥村皓一]

「政商」エンロンの実像

急成長したエンロンの最大の立役者は、創業の1985年から2001年まで最高経営責任者(CEO)を務めたケネス・レイKenneth L. Lay(1942―2006)である。レイは、エクソンの主任エコノミストを経て連邦エネルギー規制局に勤務し、石油や電力大資本と政府中枢との関係を熟知していた。そのためエンロンの企業戦略は、法律違反すれすれの、あるいは法律の盲点を突いた領域へ企業活動を拡大していくことに置かれていた。アメリカやヨーロッパ、日本、アジア、ラテンアメリカ、中国、ロシアのエネルギー規制緩和政策を活用して、本国のみならず世界中に買収の手を広げて売上げを飛躍的に伸ばした。アメリカ政府の規制緩和政策に沿って、「アメリカの国益」を前面に外交戦略を活用し、世界各国の電力会社を買収、各地に発電所を建設した。

 2000年には世界第二の電力市場である日本にも上陸し、2001年から愛媛、福岡、山口、千葉、青森の各県に発電所(合計500万キロワット)の建設を開始した。こうして東京電力関西電力など9電力会社が地域独占で安定供給を目ざす体制を打ち壊し、日本全体を電力会社の完全自由競争の地とする構想までまとめていた。

 エンロンはジョージ・ブッシュ父子(第41代および第43代大統領)はじめテキサス政界と親交があり、共和党への政治献金額も抜群であったが、一方では民主党のクリントン政権ともつながりをもち、現代の「政商」として民主・共和両党の、エネルギーと通信の自由化・規制緩和政策を活用してビジネスチャンスを拡大した。新興のエネルギー資本として、エスタブリッシュメント(既成勢力)の国際石油資本と対抗し、2000年の売上高ではシェブロンテキサコ(2001年シェブロンテキサコに統合)を合計した額を超え、勢力拡張を続けた。

 とくにインターネットと金融工学を駆使した、電力・ガス・石油をはじめ2300種類に及ぶ商品の電子取引システム「エンロン・オンライン」を1999年10月に開始し、ニューエコノミー・ビジネスにおける政商といわれた。エンロンは1990年代後半から、気候変動リスクを回避するための金融派生商品(天候デリバティブ)など、金融・ソフト商品の取引から通信や宇宙旅行にまで手を広げ、新たなビジネスモデルを追求する革新的成長企業としてアメリカの証券市場での人気銘柄となった。その勢いでエンロンは政治力を行使し、ブッシュ政権の新エネルギー政策にも深く関与した。

[奥村皓一]

史上最大規模の倒産

しかし同時に「ブラックボックス(内部が不明な機構)」といわれるエンロンの財務に対する疑念が深まり、その利益率の低下が注目され始める。2001年1月にはエンロンの信用不安説が出て、10月に大赤字が表面化、翌11月シェブロンテキサコの電力子会社ダイナジーDynegy Inc.に救済買収されかけたが、エンロンの株価がほとんどゼロにまで落ち込んだため買収合意は破棄された。こうして簿外債務を含め実質1000億ドルに上る負債を抱えて同年12月連邦破産法(日本の会社更生法に相当)11条の適用申請手続に入った。

 エンロンは史上最大規模の倒産に陥っただけでなく、金融工学を駆使した簿外金融操作(3500件もの特別目的会社を帳簿外に設立)と、これを支援した大銀行・投資銀行・会計監査会社・格づけ機関・年金基金による不正経理のスキャンダルの中で破局に陥った。倒産後のエンロンは投げ売りされ、エンロン・オンラインは10年間にわたって事業収益の33%を受け取る契約のもと、スイスの投資銀行UBSウォーバーグUBS Warburgに売値なしの「売却」を余儀なくされた(2002年2月)。続いて金属取引部門はサン・ディエゴのガス会社センプラ・エナジーSempra Energyに、風力発電部門はGE(ゼネラル・エレクトリック)に売却。海外発電、通信、水道部門も手放して、エンロンは社名をオプコ・エナジーOpCo Energy Co.に変更し、総資産100億ドルの小規模エネルギー卸売専業会社として、人員を3分の1に減じて再出発した。2006年5月に創業者のレイと元幹部に不正会計(巨額粉飾決算)による有罪評決が下された。

[奥村皓一]

『山家公雄・西村陽著『検証 エンロン破綻』(2002・日本電気協会新聞部)』『藤田正幸著『エンロン崩壊――アメリカ資本主義を襲う危機』(2003・日本経済新聞社)』『高柳一男著『エンロン事件とアメリカ企業法務――その実態と教訓』(2005・中央大学出版部)』『Peter C. Fusaro, Ross M. MillerWhat Went Wrong at Enron(2002, John Wiley & Sons, Inc.)』『Dirk J. BarreveldThe Enron Collapse(2002, iUniverse, Inc.)』『Loren FoxEnron ; The Rise and Fall(2002, John Wiley & Sons, Inc.)』

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