デジタル大辞泉
「エンデ」の意味・読み・例文・類語
エンデ(Ende)
インドネシア南部、小スンダ列島中部のフローレス島の都市。同島中部南岸に位置する。18世紀頃に存在した王国の都であり、オランダ統治に対する大きな反乱が起こった。1930年代、のちに初代大統領となるスカルノの流刑地であり、かつての住居は博物館として公開されている。
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エンデ
Ende, Michael
[生]1929.11.12. ガルミッシュ=パルテンキルヘン
[没]1995.8.28. シュツットガルト
ドイツの児童文学作家。父はシュルレアリスムの画家エドガー・エンデ。ミュンヘンで演劇や放送の仕事をしながら児童文学の創作を手がけ,『モモ』 Momo (1973) によって世界的な名声を得た。エンデの文学は R.シュタイナーの神秘的思想に裏打ちされているが,同時に現代世界を解明するための幻想の意味について問いかけている。主作品に,小説『はてしない物語』 Die unendliche Geschichte (81) ,オペラ台本『ゴッゴローリ伝説』 Der Goggolori (85) など。
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エンデ
没年:1907.8.10(1907.8.10)
生年:1829.3.4
明治期に来日したドイツ人建築家。1860年,ベルリンで最初のエンデ&ベックマン建築事務所を開設し,住宅から宮殿まで153件の設計を行う。ベルリン工科大学教授,美術アカデミー教授(1895年から学長),労働省土木建築局顧問を歴任。明治20(1887)年に来日し,日比谷に司法省(現存)と東京裁判所を建てる。作風は,ネオ・ルネサンス,バロック様式を得意としたほか,イスラム様式にも興味を示し,日本の建築案では和風も試みた。ドイツの困窮学生に奨学金を支給した「エンデ基金」の創設は,彼の遺言による。<参考文献>堀内正昭『明治のお雇い建築家エンデ&ベックマン』
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
エンデ Ende, Hermann
1829-1907 ドイツの建築家。
1829年3月4日生まれ。日本政府から議事堂,中央諸官庁の設計を依頼され,明治20年(1887)ベックマンとともに来日。日比谷に集中建築する計画を提案したが採用されず,同年帰国。その設計案はのち大幅に縮小され,司法省,裁判所だけが実現した。1907年8月10日死去。78歳。
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エンデ
ドイツの作家。《ジム・ボダン》(1960年)をはじめとする児童文学者として活躍。時間泥棒の登場する《モモ》(1973年)や,ファンタジーの傑作として名高い《はてしない物語》(1979年)で国際的名声を得た。《鏡のなかの鏡》(1984年)など大人向けの物語や戯曲,詩集のほか,芸術・政治評論など啓蒙的著作もある。映画化された作品も多い。
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