百科事典マイペディア 「エルサレム」の意味・わかりやすい解説
エルサレム
→関連項目アクサー・モスク|シオン|巡礼|聖地|聖地問題|ダビデ|ユダ王国
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…そこで,サウルとダビデ,ソロモンが支配したイスラエル王国を〈統一イスラエル王国〉,ソロモンの死後ダビデ家の支配を脱して南のユダ王国と対立したイスラエル王国を〈北イスラエル王国〉と呼んで,両者を区別する。 前10世紀初頭に,ダビデは南方部族の中心都市ヘブロンから,南北複合王国の中間に位置するエルサレムに遷都し,そこへ王国成立前の部族同盟の象徴であった〈契約の箱〉を搬入して,イスラエルの神ヤハウェがエルサレムを選び,同時にダビデとその子孫を全イスラエルの支配者に選んだと主張した。これを〈ダビデ契約〉と呼ぶ。…
…エルサレムの古い別称。ダビデ王が征服したエブス人の町エルサレムは,今日の旧市街の外,三方を深い谷で守られた南東の丘にあって〈シオン要塞〉と呼ばれていた。…
…精神的指導者として聖職者(司教,司祭),修道士,民間説教師が付き添い,非武装の巡礼の護衛者として諸侯,騎士,歩卒の軍団が配属され初期の十字軍遠征隊が編成された。
【公式十字軍の発動】
エルサレムはユダヤ教,キリスト教,イスラムの共通の聖地であり,とくにキリスト教徒はこの都を〈キリスト受難〉の地として諸巡礼地のうち最高の聖域とみなし,その地のキリストの〈聖墳墓〉の解放を十字軍の最終目標にかかげた。このため中世の史料は十字軍を〈エルサレムもうで〉〈聖墳墓参り〉などと記録している。…
…しかし一般には,巡礼の往路は修行と受難のコースを象徴するのに対して,帰路は慰安と観光の旅に移行する場合が多い。 ところでキリスト教徒にとっての最大の聖地はエルサレムである。彼らは世界のどの地域に住んでいようと,一生に一度はエルサレムへの巡礼を夢見ている。…
…サウルの軍の長アブネルAbnerは,東ヨルダンに逃げてサウルの子エシバアルEshbaalをイスラエル王として擁立したが,結局,2人とも暗殺されたため,ダビデにイスラエル王位が提供された。 こうして,前997年ころイスラエル・ユダ複合王国の王になったダビデは,エブス人のエルサレムを占領して,ヘブロンから移住した。エルサレムは南北両部族の中間に位置し,それまでイスラエルのどの部族にも属していなかったため,部族間のバランスを保って統一国家を建設したダビデにとって理想的な首都であった。…
…さらにキリスト教教会堂が植物彫刻で満たされ,イスラムのモスクが植物の形態に由来する文様のモザイクやタイルで一面に飾られるのも,そこに楽園表現の意図が働いているものと見ることができる。 天国ないし楽園の第2の類型は,聖書の末尾すなわち《ヨハネの黙示録》21章に記されている〈新しきエルサレム〉である。これは,地上で正しく生きた義人がその報いとして赴く理想の都で,12種の宝石で飾られた城壁に囲まれたその町の大路は純金でできていて12の真珠の門があった,と記されている。…
…〈シナイ契約〉を確認するために,モーセを仲保者として与えられた律法は,民族的・宗教的共同体として成立したイスラエルの生き方を決定する基本法となった。 前13世紀末に,イスラエル人はカナンに侵入して〈約束の地〉に定着したが,前1000年ころ,ユダ族出身のダビデが王となり,シリア・パレスティナ全域にまたがる大帝国を建設し,エルサレムを首都に定めた。その子ソロモンが,エルサレムのシオンの丘に主の神殿を建立すると,主はダビデ家をイスラエルの支配者として選び,シオンを主の名を置く唯一の場所に定める約束をした,と理解された(〈ダビデ契約〉)。…
※「エルサレム」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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