エルサレム問題(読み)えるされむもんだい

知恵蔵 「エルサレム問題」の解説

エルサレム問題

パレスチナ地方の都市エルサレムの帰属(首都承認)を巡る問題イスラエルはエルサレムを自国の首都と宣言しているが、日本を含む多くの国はこれを認めず、大使館もテルアビブに置いている。米国も長らく国際社会に歩調を合わせ、テルアビブに大使館を置いていた。しかし2017年12月、トランプ大統領がエルサレムをイスラエルの首都と認めると共に、米国大使館をエルサレムに移転することを宣言。パレスチナ自治区ガザでは大規模な抗議デモが起こり、トルコや周辺アラブ諸国も批判の声を挙げた。しかしトランプ政権はひるまず、翌18年5月14日、イスラエル独立宣言70周年(パレスチナ人にとっては「ナクバ(大災厄)」の日)にあわせて移転を強行。記念式典には、同じく大使館移転を宣言したグアテマラ、パラグアイ他の代表が出席したが、日本や西欧の主要国は欠席した。米国は1995年に議会で、エルサレムをイスラエルの首都と認め、大使館をエルサレムに置く「エルサレム大使館法」を制定している。しかし、その後の大統領はアラブ側に配慮し、移転を実行しなかった。
エルサレムの帰属を巡る歴史は古い。紀元前1000年頃、ヘブライ(古代ユダヤ)王国が聖都と定めたのが始まり。その後、313年にキリスト教を公認したローマ帝国の統治を受け、638年以降はアラブ人イスラム勢力の支配下に入った。11~15世紀には、十字軍の東方遠征に伴い、イスラム、キリスト両勢力による争奪戦が繰り返されたが、1517年以降はオスマン帝国の版図に組み込まれた。第2次世界大戦後の1947年、国連はパレスチナ分割決議を採択し、エルサレムを国連の永久信託統治区とした。しかし第1次中東戦争(1948~49年)の結果、東西に分断され、イスラエルが西エルサレムを統治、ヨルダン東エルサレムを統治することとなった。その後、第3次中東戦争(1967年)の結果、イスラエルはエルサレムを統合し、自国の首都と改めて宣言。更に80年には、「恒久首都」とする国内法を制定した。ユダヤ人にとって、パレスチナ地方(カナンの地)は神から与えられた「約束の地」であり、イスラエル政府は神殿があったエルサレムを特別な聖地とみなしている。一方、アラブ側のパレスチナ人はこれに強く反発し、エルサレム(東エルサレム)を将来樹立するパレスチナ国家の首都と位置付けている。

(大迫秀樹 フリー編集者/2018年)

エルサレム問題

ユダヤ、キリスト、イスラムの3宗教の聖地を持つこの都市は、しばしば争いの対象となってきた。1947年の国連パレスチナ分割決議は同市の国際化を決めたが、第1次中東戦争の結果、歴史的な市街を含む東エルサレムはヨルダンが、西はイスラエルが制圧した。イスラエルは国連決議を無視してエルサレムを首都としたが国際社会はこれを認めず、各国は大使館をテルアビブに置いている。67年の第3次中東戦争ではイスラエルが東エルサレムを占領。東エルサレムをヨルダン川西岸の他の占領地から分離してイスラエル領土に「併合」し、エルサレムを再統合した。80年にはエルサレムを恒久的首都と宣言、エルサレムへのユダヤ人の移住を進めている。その上、98年にはエルサレム周辺の入植地を包含する形でエルサレムの市の範囲を拡大した。いずれも同市におけるユダヤ人口の比率を高めるための措置である。だがパレスチナ人もこの都市への主張を堅持している。エルサレム問題の処理は、中東和平における難関となっている。

(高橋和夫 放送大学助教授 / 2007年)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「エルサレム問題」の意味・わかりやすい解説

エルサレム問題
エルサレムもんだい

ユダヤ教,キリスト教,イスラム教の聖地のあるパレスチナの中心都市エルサレムの帰属をめぐる問題。エルサレムは,第1次世界大戦後イギリスの委任統治下に入ったが,1947年の国連パレスチナ分割決議により国連管理下の国際都市とするよう定められた。しかしイスラエル建国とともに起ったパレスチナ戦争 (第1次中東戦争 ) の結果,市の西半分はイスラエルに,また旧市を含む東半分はヨルダン領に組入れられた。イスラエルは 50年,エルサレムを首都と定め,さらに 67年の六日戦争 (第3次中東戦争) で東エルサレムを含むパレスチナ全土を占領したのち,統合エルサレム全体を首都と定めた。これに対しアラブ側は,六日戦争の全占領地からのイスラエル軍の撤退を求め,東エルサレムを首都とするパレスチナ国家の樹立を要求している。しかしイスラエルは統合エルサレムがイスラエルの首都であるという主張を絶対に変えない方針を示しており,93年9月にイスラエルとパレスチナ解放機構 PLOとの間で調印されたパレスチナ暫定自治協定においても,この問題には触れられなかった。エルサレム問題は,アラブ=イスラエル紛争のなかでも最も解決困難な問題の一つとなっている。

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百科事典マイペディア 「エルサレム問題」の意味・わかりやすい解説

エルサレム問題【エルサレムもんだい】

聖地問題

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世界大百科事典(旧版)内のエルサレム問題の言及

【聖地問題】より

…これに関して国際連合が作成した聖地一覧表は図の通り。そのうち,[13],[14],[15],(11)はベツレヘムにあるが,他はすべてエルサレムにあり,したがってエルサレム問題(同市の組織と地位,同市および周辺の聖地の管理,世界の信徒たちの聖地アクセス権などをめぐる問題)が聖地問題に占める比重は圧倒的に大きい。 聖地問題の背景には,中世の十字軍から近代の東方問題にいたるヨーロッパの干渉の歴史があるが,ことに19世紀の東方問題は,クリミア戦争の導火線となった聖地管理権をめぐる紛争,嘆きの壁に関してイギリスがおこなったユダヤ教徒・ムスリム間の対立の扇動などをとって見ても,それが聖地問題の直接の起点であったことがわかる。…

【中東和平問題】より

…和平交渉は前途に多くの難問を抱えていた。エルサレム問題,占領地にイスラエルが建設した150以上の入植地,ゴラン高原の撤退問題,南レバノンのイスラエル軍の存在などである。こうしたなか,92年のイスラエル総選挙で労働党が政権に復帰した。…

※「エルサレム問題」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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