エリオ(読み)えりお(英語表記)Edouard Herriot

精選版 日本国語大辞典 「エリオ」の意味・読み・例文・類語

エリオ

(Edouard Herriot エドワール━) フランス政治家著述家急進社会党総裁として一九二四年からたびたび組閣。第二次大戦後は国民議会議長となった。(一八七二‐一九五七

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「エリオ」の意味・わかりやすい解説

エリオ
えりお
Edouard Herriot
(1872―1957)

フランスの政治家。エコール・ノルマル出身の高等学校教授として出発したが、ドレフュス事件に際して急進社会党に入党し、1905年以後その死まで、ビシー政府時代を除いてリヨンの名物市長であった。国政においては1912~1919年上院議員、1919~1957年下院議員を務めたが、その間、1916~1917年第五次ブリアン内閣の公益事業相となり、1919年から急進社会党総裁でもあった。1924~1925年には左翼連合内閣の首相兼外相としてルール撤兵やソ連承認などの業績をあげたが、内政では財界の抵抗(エリオの命名によれば、「金銭の壁」)に改革を阻まれた。1926年の第二次エリオ内閣は数日で倒れ、1932年の第三次内閣も第一次のそれと似た経過をたどり数か月で挂冠(けいかん)した。その後1936~1940年、1947~1954年には下院議長を務めた。ヨーロッパ統合論者として知られ、文学的著作も多い教養豊かな文人政治家であったが、政治的業績はその名だたる雄弁ほどではなかった。

[平瀬徹也]

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改訂新版 世界大百科事典 「エリオ」の意味・わかりやすい解説

エリオ
Edouard Herriot
生没年:1872-1957

フランスの政治家。第1次世界大戦後,フランス議会における中道左派勢力である急進社会党の党首として活動。1924年の議会選挙に際し,1919年以来政治の主導権をにぎっていた右派諸勢力の結集する〈ブロック・ナシヨナル〉に対抗し,社会党(SFIO)などと〈左翼カルテル〉と呼ばれる連合政策をとって勝利,首相となる。この内閣は1年弱の短命に終わったが,その間,ドイツの賠償に関しドーズ案を受け入れ,他方,ソビエト政府を承認するなど,国際協調をうたったその外交は〈エリオ外交〉の名で呼ばれた。以後3次にわたり首相。また,閣僚,下院議長を歴任。35年,人民戦線の結成に参加,翌36年選挙における人民戦線の勝利とともに再度下院議長となる(-1940)。第2次世界大戦下,ビシー政府により逮捕され,44-45年にはドイツに監禁されたが,戦後復帰,国民議会の議長を政界引退までつとめた(1947-54)。また1905年以来,長くリヨン市長でもあった。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「エリオ」の意味・わかりやすい解説

エリオ
Herriot, Edouard

[生]1872.7.5. トロア
[没]1957.3.26. リヨン
フランスの政治家。エコール・ノルマル・シュペリュール (高等師範学校) 卒業。高等学校教師を経て 1904年リヨン市評議員。 05年リヨン市長。 12年上院議員。 16~17年公共事業相,運輸補給相。 19年下院議員に当選,急進社会党党首。 24年左翼連合政権の首相兼外相としてソ連承認,ドーズ案の受入れ,ルール撤兵など国際協調に尽力。 26~28年文相,34~35年副首相。 36~40年下院議長。 42年 P.ペタン政権に逮捕され,ユダヤ系のためドイツの強制収容所に送られた。 45年ソ連軍に釈放され,リヨン市長に再選。 45~46年制憲議会議員。 47~54年下院議長。 48年以降ヨーロッパ会議 Council of Europe議員。 55年スターリン賞受賞。文才があり著書も多い。 46年アカデミー・フランセーズ会員。主著『ヨーロッパ合衆国Les États unis d'Europe (1930) ,『回想録』 Jadis (2巻,48~52) 。

エリオ
Hélyot, Pierre

[生]1660. パリ
[没]1716. パリ
フランスの聖職者。フランシスコ会修道士。主著"Histoire des ordres monastiques,religieux et militaires et de ses congrégations séculières de l'un et de l'autre sexe" (1714~21) は今日でも史料として価値がある。

エリオ
Elío, Francisco Javier

[生]1767. パンプロナ
[没]1822. バレンシア
スペインの軍人。ナポレオン指揮下のフランス軍侵入に際して活躍。 1811年ブエノスアイレスの総督になる。フェルナンド7世の王政復古後,バレンシア総督兼軍総司令官となって自由主義者を弾圧したため,22年革命派の軍事委員会により死刑に処せられた。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「エリオ」の解説

エリオ
Edouard Herriot

1872~1957

フランスの政治家。1919年急進社会党の代議士となる。24年に保守派に対抗して左翼連合内閣を組織して以来,首相,外相を何度も務めた。外交面では平和政策をとり,ルールから撤兵し,国際紛争平和解決に関するジュネーヴ議定書を成立させた。進歩的共和主義思想の持ち主として,また文学史,音楽史に造詣深い文人政治家として知られる。

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百科事典マイペディア 「エリオ」の意味・わかりやすい解説

エリオ

フランスの政治家,著述家。急進社会党所属。リヨン市長,上・下院議員を歴任,1919年党総裁となり,1924年左翼連合内閣の首相となる。以後しばしば首相,閣僚となり,平和外交を推進し,第2次大戦中のビシー体制によって逮捕されドイツに監禁された。戦後復帰し,国民議会議長。

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旺文社世界史事典 三訂版 「エリオ」の解説

エリオ
Edouard Herriot

1872〜1957
フランスの政治家
1919年急進社会党首。1924〜25年左派連合内閣を組織し,ルール撤兵・ソ連承認などを決定。1936〜40年下院議長。第二次世界大戦中,ドイツ軍に逮捕された。戦後の1947年,国民議会議長をつとめた。その間,1905〜31年リヨン市長にもなり,文学者としても著名。

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デジタル大辞泉プラス 「エリオ」の解説

エリオ

スズキが2001年から2007年まで製造、販売していた乗用車。4ドアセダンと5ドアハッチバック。

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世界大百科事典(旧版)内のエリオの言及

【急進社会党】より

…党は結党当初から政府に参加し,02‐05年にはコンブÉmile Combesが,11‐12年にはカイヨーが内閣を組織したが,第1次大戦後初の総選挙では国民ブロックに敗北した。24年には左翼連合の勝利にともない,エリオが社会党の閣外協力を得て組閣したが,財界の抵抗はフラン価の低落を引きおこした。続く左翼諸政府もフランの低落をとめられず,26年にはポアンカレの国民連合内閣に道を譲った。…

※「エリオ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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